2006年05月17日
◆「インディ・ジョーンズ4」、公開は2008年? (eiga.com) [記事]
このままだとハリソンが「最後の聖戦」のショーン・コネリー状態に・・・。
◆I.G.アニメ『Blood: The Last Vampire』、実写映画化。 (英語で!アニメ・マンガ) [記事]
フツーにB級ホラーアクションになりそうなスタッフ・ラインナップ。
◆「ダ・ヴィンチ・コード」評価は20点 (超映画批評) [記事]
カンヌで不評なのは「ヴァチカンの圧力」とか勘繰ったけれど、毎回的確な論評のこの方が云うなら・・・って感じ。「ハンニバル」の悪夢再びか。
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2006年05月15日
◆あややがスケバン刑事でカンヌ (Yahoo!)
また国○な事を・・・。ちなみに「YO-YO」って単語、そんなに外国に浸透してたっけ。黒人ヒップホップ的に取られそう。或いはそれが狙いだったりして。
◆ギャガ、アニメ版「NIGHT HEAD」を製作開始。GyaOで配信 (CINEMA TOPICS ONLINE)
飯田監督の公式サイトでは丁度一ヶ月前に発表されてたけど、いよいよ正式始動!
キャラデザが若干少女マンガ過ぎるきらいはあれど、飯田監督自身が参加するみたいだし、イマイチに終わった「サイファイ・ハリー」の轍は踏まない筈・・・。
◆「日本沈没」の傑作パロディ「日本以外全部沈没」ミニ記者会見! (CINEMA TOPICS ONLINE)
やっぱトルネード・フィルムの仕業か! しかも実相寺昭雄がクレジットされてるよ! 記者会見のブルース・ウィリス酷いよ!!
流石に時代を感じる原作通りではなく、一応現代アレンジしてる模様。
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2006年04月05日
 | カリスマナッシング。 |
◆ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR ※要Flash。音声注意。
現代のモスクワで繰り広げられる、光の勢力vs.闇の勢力の戦いを描いたダークファンタジー。
如何にも低予算、と云った映画。劇中で繰り返し流れるセンチメンタルな音楽の使い方含め、何だか日本のSFものを観ている気分に。
以下、ネタバレ注意。
・「ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR」レヴュー (超映画批評)
・「ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR」レヴュー (シカゴ発 映画の精神医学)
とりあえず、全編に渡って何だか「不潔」な印象を受ける。カビや油で汚れた家屋や虫の死骸をはじめとした画作りはわざとかもしれないが潔癖性の人間なら耐えられそうに無い。そんな貧乏臭さが余計低予算を強調してしまっている様に思える。
劇中では、スポンサーなのか、矢鱈ネスカフェの製品が映っていたがこの不潔感はイメージダウンにならないか余計な心配をしてしまった程だ。
加えて、主役がニコラス・ケイジの遠縁みたいな只の中年親父で能力の高さも魅力も全く感じさせない為、感情移入も憧憬も持てないのが更に始末が悪い。
ハッカー達がPCで因果関係や運命を解析する設定や、変にハリウッド的に盛り上げイベントを作らない(作れない?)展開は、ラース・フォン・トリアーの「キングダム」みたく独特の味わいがあって面白いとも云えるが、古くは「デビルマン」などから語り継がれる「光と闇の対決」と云うありふれた話の割に説明不足が多過ぎるのも不親切で、「難解」と勘違いしそうになってしまう。
それでも最後に、運命の子供が闇の策略で奪われてしまう辺りはなかなかの絶望感があり、次がどうなるのか、と期待もしてしまった。
第一章である所為か、伏線を張りながら虎や熊に変身する見せ場が結局無い(これも予算の所為っぽいが)、など、何の為に出て来たか判らないキャラも多い訳で、完結するまでは何とも評価し難いが、本国では大ヒットしたそうだし、予算も一桁上がってくれる事を祈るばかりだ。
≪ 続きを隠しても隠さなくても
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 | ジミーズ。特に長女には閉口。 |
◆ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女 ※要Flash。音声注意。
劇場での特報や予告の段階で薄々感じていた「ショボさ」が的中した、今年のファンタジー映画の最初を飾る作品。
クリーチャー造型や暖炉の火が形作るヴィジョンなどの映像は素晴らしかったが、如何せん「地味」が想像力を妨げる結果に。
以下、ネタバレ注意。
・「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」レヴュー (超映画批評)
・「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」レヴュー (シカゴ発 映画の精神医学)
とりあえずキャラの魅力の無さにほとほと呆れる。主演の四兄弟(特に長男と長女)が地味なら、最も重要なキャラであるナルニアの王アスランもその辺の動物園に居そうな地味ライオンで、威厳を感じるどころか、どのキャラに飼われたペットなのか、と云ったレベルだ。部下のケンタウルスの方が遥かに威厳があった。
そもそもミノタウロスやサイクロップスなどの架空の生物が蠢く中で、何故「普通のライオン」ビジュアルにしたのかが判らない。
友人によると、アスランは原作では「燃える様に輝くたてがみ」を備えているそうだが、折角フルCGで造詣するのだから、この世のものとは思えない容姿にして欲しかった。或いはアクセサリやマントなどのアイテムでも大分印象は変わってくるだろうに、ビーバーはじめ実在の動物は全て「ハダカ」志向なのが無駄なこだわりに思える。
四兄弟の華の無さも、観客の子供達が自分を投影して感情移入し易くする為、その辺の子っぽくキャスティングした様だが、それは大きな間違いだ。
「ハリポタ」や「ロード・オブ・ザ・リング」を挙げるまでもなく、物語のキャラに感情移入すると云う心理は「変身願望」に他ならない。平凡な登場人物が力を手に入れ成長する事で、観る者もそれを追体験するのが醍醐味なのだ。
その際大事なのが「容姿」であり、手が届かない程美形ではなく、頑張ればなれるかもしれない程度が「理想」となる。これがミソなのに、自分や友人とそう変わらない、場合によっては劣ると思える容姿では向上感は得られない。しかも長女が特に顕著だが、演技力もかなり低いと来ている。
加えて、彼らが戦闘能力を身につけていく描写も皆無の為、何故さっきまで素人だった平凡な子供が鎧や武器を与えられただけでカリスマ性を得られ、いきなり大軍を率いられるのか、と云う疑問が肥大化するばかりで話に集中出来ない。ナルニア国民どころか制作者までが「予言」に頼り過ぎだろう。
ラスト直前に観られる、成長した四兄弟の姿には充分なオーラを感じただけにつくづくこのキャスティングは残念だ。この後もシリーズ化するなら尚更。
この様に、素人とCGのキャストの中、「コンスタンティン」でも圧倒的な存在感をふりまいていたティルダ・スウィントンは、次男と触れ合う事で冷徹な生き方が少しずつ変化しつつある、と云う演技プランを確り持っていた様に思える。酷いストーリーテリングを僅かでも好転させようと孤軍奮闘しているかに見えるその姿には改めて魅了されてしまった。
≪ 続きを隠しても隠さなくても
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 | 実際はちょっと違うけど。 |
◆イーオン・フラックス ※要Flash。
西暦2415年。過剰な管理社会と頻発する謎の失踪事件に不信感を抱く反政府組織モニカンは、最精鋭のひとり、イーオンに君主暗殺を命じるが・・・。
元々MTVチャンネルで放送されたアニメが原作なので、冒頭には「MTV」のロゴが。だからと云う訳ではないが全体的に「PV感覚」と云う言葉がしっくり来る印象。例えばこれが主演女優シャーリーズ・セロンの歌手デビュー販促用映像なら、かなり高評価だった気がする。
以下、ネタバレ注意。
・「イーオン・フラックス」レヴュー (超映画批評)
今作で最も評価出来るのはセットや小道具で、主人公イーオンが操るパチンコ玉の様な爆弾ロボットはかなり応用の効きそうな武器だったし、彼女の侵入を阻もうとする植物兵器のアイデアなどは自然汚染への皮肉とも取れて面白かった。
建物の中で見られるデフォルメされた東洋趣味の内装も隠し階段のデザインに特異性を与えていた様に思う。
ただ、残念ながら、それらが手垢のついたSF世界観や物語のコンセプトをフォローしてくれる訳では無い。
しかも俳優陣が非常に難アリで、演技力がどうこう云う前に役柄としてのリアリティが欠如していた。
特に、理想都市ブレーニャを支配する面々には貫禄やリーダーシップと云ったものが一切感じられず、その辺の若者が上等な衣装を来て居心地悪そうに座っているとしか見えない。
イーオンのターゲットであり、かつての恋人であるリーダーも然りで、二人は深淵な運命や因縁に結ばれている設定の筈なのに、肝心の男が「カリスマ性ゼロの地味なオジサンビジュアル」ではぶち壊しだ。
これは映画を観る上では結構重要な要素で、相手役がどんなキャラかで観客による主役の「人格評価」が決定されると云っても過言では無いだろう。ヒーローが足手まといにしかならない騒ぐだけの女を連れていれば「結局カオとカラダしか見ないのか」となる。
同様に、ヒロインの相手なら観客の女性陣が一瞬にしてときめいてしまい、男性側も、悔しいがこれ程の男なら仕方が無い、と認めざるを得ない「男の能力・魅力」に溢れたキャラ造型であるのが理想だ。
従って、通常の映画なら三下程度の印象しか持ち得ない男とさっさと寝てしまうイーオンからは、主役の「格」と云ったものが損なわれてしまい、その後の行動原理にも信頼がおけなくなってしまった。
他にも、イーオンの相棒である女性・サランドラの扱いは笑える程可哀想で、まず彼女が植物兵器に痛い目にあってから、続くイーオンが颯爽と同じ攻撃を避ける引き立て演出が何度も繰り返される。無論、サランドラに対する信頼度も自然と落ちて行く。
ある様で無さそうなメッセージを含め、結局、冒頭に書いた様に、今作はセロンが如何に美しく格好良く見えるか、だけを徹底的に追求した一大プロモーション映画なのだ。
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2006年03月28日
◆エミリー・ローズ
19歳の大学生エミリー・ローズに取り憑いた「悪魔」の正体は精神障害か脳炎か、それとも・・・。
「実話」を売りにする割りに陳腐な脚色シーンが多く少々醒めるも、エミリー役のジェニファー・カーペンターの憑依振りが圧巻。
以下、ネタバレ注意。
・エミリー・ローズ (シカゴ発 映画の精神医学) ※精神科医ならではの視点が面白い。やや偏ってるけど。
・エクソシズム関連記事 (X51.ORG) ※儀式のビデオ等多数紹介。
「初めて悪魔の存在を認めた裁判」と云う宣伝コピーを鵜呑みにはしていなかったが、それでも、悪魔が居たかどうかではなく、「神父が如何に正義の信念を以っていたか、彼女を救う為に真摯だったか」が争点になっている作りには、拍子抜けすると同時に「それはそうだろうな」と納得もした。
ふと思い出したのが、最近、自宅の風呂場で培養したと云う「菌」を少女に与えようとして死なせてしまった新興宗教家だ。確かあの事件も薬の投与を宗教家が止めさせた様に記憶している。
ただ、TVで観たその男の姿や所作には狂信者独特の「歪み」を感じたが、劇中で描かれる神父は清廉潔白で、目には一点の曇りも無く、悪魔の存在を完全に信じている善人そのもの。
まあ「信じる」と云うのは意思を伴う行為だから、大抵の人間が「空気」の存在を常に意識しない様に、彼にとってはごく当たり前の「常識」「現実」となっている、と云い換えるべきか。
この様に、キリスト教信者の反感を買わない為か、映画は神父を擁護するスタンスで進行していく。
だが、実際の神父を自分の目で視た時、果たして彼に「歪み」を感じる事は無いのだろうか、と考えてしまった。
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肝心の本編は、医学、文化人類学両方の見地に則った裁判描写に見応えがあったし、俳優陣の抑制した演技が手堅い。そして映像の構図や色味にもかなり上質な品位を感じた。
しかし、如何せん、音楽が宜しくない。
よく感動もの映画が過剰な音楽で観客の涙腺を絞ろうとする様に、冒頭から古びた家屋の映像に被さる、如何にも恐怖感を煽ろうとする弦楽器の不協和音がベタ過ぎて思わず苦笑してしまう。
特にエミリーの憑依時や神父、弁護士に不穏な出来事が起こるシーンではここぞとばかりに大仰なオカルト旋律が鳴り響くのだ。
そもそも映画独自の味付けであろう「怪異現象」自体が疑問だ。
エミリーが視たとされる幻覚、または事実の映像を「想像」と云う形で表現するならいいが、神父と弁護士にまでそれらを与える必要があるだろうか。
これにより「神父達が正しいのでは」と観客に刷り込む演出は、裁判要素の強い作品においてフェアでは無い。
しかも、多分監督が得意ではないのだろうが、肝心のオカルト映像がチャチで古臭く、雷鳴の中で馬が暴れ出すなど必要以上に作り物臭い為、折角、緊迫感のある公判に引き込まれても、そのシーンに切り替わった途端に醒めてしまう。
寧ろ、証言する筈だった医師が突然車に撥ねられるカットの方が、「オーメン」の様な不可解な恐怖を感じた程だ。
これが例えば「コンスタンティン」や「ヴァン・ヘルシング」など、初めからモンスターがバンバン出てくる様なジャンルなら、いくら派手にしようと全く問題は無い。
しかし、今作みたく「悪魔は本当に存在するのか」と云う「疑問」の物語では否定スタンスである方が真実味は増す。
例えば、冒頭にリンクした批評は、医学者故か一種異様な程「悪魔憑き」の存在を否定している。それ程、悪魔の存在を頑なに信じる者が後を絶たないと云う事だろう。
だが、そこまで徹底的に否定されればされる程、ちょっとした反感や疑問が沸かないだろうか。
別の例えをすれば、安っぽいパペットエイリアンが平気で出てくる「ダーク・スカイ」より、政府の陰謀や脳の異常だと、とことん宇宙人を否定する現実主義で突き進む「Xファイル」の方が「いや、でもひょっとしたら」と思える様に。
だから、繰り返すが神父や弁護士にオカルトっぽい体験をさせる描写は一切排除し、寧ろ検事を主役にしてドキュメントタッチで悪魔を否定し続けていく方が見応えのあった様に思える。
そうすれば、恐らく殆どがキリスト教信者であろう陪審員達が、神父を過失で有罪としながらも刑期短縮を進言すると云う、奇妙な勝利感をもたらしたラストの意味は大分変わってくる筈だ。
結局、今作では悪魔の存在云々は置いといて、神父自体は悪気無かったんだから、と云う「神の救い」を匂わせる人情ものなオチになっているが、個人的には明らかな過失致死が無罪になってしまう事自体、非常に「悪魔的」だとも感じた。まるで何者かが「貸し」にしてくれたかの様に・・・。
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この事件から既に何十年も経つが、未だにキリスト教は廃れないし、「悪魔」を題材にした作品は後を絶たない。
キリスト教信者が悪魔を否定出来ないのは「悪魔と神」がセットだから、と云うやや意地悪な解釈が出来る(悪魔の否定は神の不在に繋がる)が、科学にどっぷり浸かった無信心な者でも心の何処かにその両者を感じているのは矢張り不思議だ。単純に2000年の刷り込みの結果なのだろうか。
そう考えると、人々の心を支配する為のツールとして「彼ら」が存在するのではないのか、と思えてしまい、矢張り宗教には縋れないな、と距離を置いてしまうのだ。
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2006年03月20日
◆機動戦士ZガンダムⅢ -星の鼓動は愛-
前作「恋人たち」では作品の出来は勿論、声優問題と云うスキャンダルを含めて酷い有り様だった「新約Z」。
TV版をふまえないと判り辛い世界観、人間関係や、旧作画クオリティの低さなど三部作を通した欠点はあれど、今作では「誰も知らないラスト」と云うより、RPGのマルチエンディングや懐かしドラマ「If もしも」の様にシンプルな変更で、見事に娯楽映画らしいカタルシスを以って大団円を描き切り、本来の完結篇と云える「逆襲のシャア」へと繋げてみせた。
正に「終わり良ければ全て良し」をまたも達成した富野監督。ほんと「汚名挽回」にならなくて何より。これで安心して「リーンの翼」が愉しめる。
・「星の鼓動は愛」超映画批評 ※堂々の80点。
・富野由悠季インタヴュー・1 (シャア専用ブログ)
・富野由悠季インタヴュー・2 (シャア専用ブログ)
・富野由悠季インタヴュー・3 (シャア専用ブログ)
[新たなラストについて]
年齢的にTV版「Z」がリアルタイムな「ガンダム」原体験である自分にとって、何と云っても「誰も知らないラスト」こそが本作の肝であり、正直、鑑賞中も筋を追うより「それ」がいつ出るかだけが関心の的だった。
ただ、第一作「星を継ぐ者」公開の時点で監督インタビュー等から「ハッピーエンド」なのは判っていたし、「途中がグダグダでもラストはキッチリ締める(或いは度肝を抜く)」作劇をしてきた富野監督だけに出来の不安は無かったものの、最後の最後、本当にギリギリまで変更が無い展開には焦ってしまった。
勿論、ヘンケンを喪って茫然自失のエマに対し、カミーユが己のノーマルスーツのバイザーを上げる箇所の変更などはその「路線」への意義が感じられたけれど。
TV版では「こんな宇宙、息苦しくって・・・!」と人が死に逝く意思に押し潰されそうなカミーユの精神崩壊を予期させる重要なシーンも、ここではエマの意識を取り戻したい余り、バイザーが鬱陶しくて思わず上げてしまった若者の純粋な無謀さ、と云った健やかなものに解釈されている。
ただ、こういう細かい伏線を散りばめられても尚、ウェーヴ・ライダーによるTHE-O特攻は、まさかそこまでTV版のままとは思わなかったので「大丈夫?ほんと大丈夫!?」と冷や汗状態。
それだけに、THE-OからZが機首を引き抜き、サナギから羽化する如く人型にゆっくり戻り、次いでカミーユが「・・・動いたぁっ」と言葉を吐き出す流れは本当に感動してしまった。
多分、監督もそういうTV版ファンの反応を意地悪く予想していたに違い無いが、シロッコの呪縛から逃れ得た、と云う状況を「人型に戻る」事で強く視覚にアピールし、「人口呼吸で蘇生するハリウッド映画の主人公」を想起させるオーソドックスな仕上げになっているところは、ガンダムファンメインに作った作品とは云え「娯楽映画」を観に来る普通の客層を意識した演出になっていて素晴らしい。
そして、EDテーマをバックにファとカミーユが抱擁しながら漂うラストショットは「F91」のセルフ・オマージュにも思えたが、セシリーとシーブックの様に最初から求め合っていた愛が成就したカタチではないところもまた上手い。
絡み合う四肢や下半身からのアングルはインタビューでもある様に性的表現だし、ファには失礼だが、やたら気の多かったカミーユにとってもう彼女しか残って居ないとか、死に瀕した結果、子孫を残す生存本能が強まった等の解釈が出来る。
つまり、「F91」との差別化もあるだろうが、感動を狙ったと云うよりは人間の性的な生々しさによる「生命力」の素晴らしさを表現したと個人的には捉えている。
そもそも今作には「感動の結末」など不要なのだ。実際、キャスト・スタッフロールは「新約Z」のみならず、これまでの富野ガンダム映画同様、しっとりとしたGacktのバラードで締めると思いきや、突如、余韻ぶち壊しと一部感想で大不評な「Dybbuk」が激しく劇場を揺さぶっている。
自分は事前に「Dybbuk」が終盤使われる事を知っていて、「あの激しい曲をどこで?戦闘中に?」と非常に疑問だったが、このエンドロールで謎も解けた。
「星を継ぐ者」のOPに回帰する様な宇宙の奔流映像は物語がここで終わる事を許していない。つまりこの三部作はガンダムの「総括」では無く「継承」の物語なのだ。
この後、ハマーンはネオ・ジオンを率い地球連邦に宣戦布告。ティターンズを失った連邦はエゥーゴに頼らざるを得なくなってしまう。そしてハマーン亡き後、いよいよシャアがアクシズを地球に落とすべくアムロ達の前に立ち塞がる。
「Love Letter」でとりあえずの終息と平穏を表した後、来るべき戦乱の時代、そして観客の期待と高揚感を煽る「Dybbuk」、という構成はつくづく絶妙な選曲だ。
曲ラスト近くで迫り来るネオ・ジオンの戦艦はまさしくシャアそのものであり、TV版でも無人のコクピットを晒した百式が漂い、彼の復活を予見させたが、今作ではそれをよりアクティヴに変更したと云える。
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[TV版との変更について]
作画云々は置いておいて、ちょっとした描写や声優の演技で人間関係が異なって見えるのも「新約Z」の愉しみのひとつ。
まず、シャアとハマーンの会話に割り込むヘンケンを呼び捨てにしたり、ケーキの食べ方を注意するエマのスタンスに驚いた。彼女のノーマルスーツから見えるTシャツの胸元を覗き込むヘンケンは露骨だし、TV版と違い、カミーユが決してエマと結ばれない(ファに行くしかない)事を強調する効果もあったようだ。
そしてTV版以上にさしたる活躍の無いシャア。ダカールの演説をカットした所為で余計に存在意義が薄くなったのも「逆襲」に走る動機の一つなのかと思える程。
実際、監督にも「ケーキを食べに来ただけ」と揶揄される彼にとって、この三部作は休息の時期と云うか、周囲の期待、重圧に耐えかねて家出したお坊ちゃん然としているのが興味深い。
ブレックスの死やカミーユの言葉より、エゥーゴにおける己のポジションに「ここは自分の居場所ではない」と悟る心情が見えてくる扱いは、どんな高尚な思想より遥かに納得出来る。
あと、TV版では「あの武器」と云っていたキュベレイの「ファンネル」を「ビット」と云い直しているところもいい。かつてエルメスに搭載されていた武器として知ってる筈だから自然だし、ララァへの想いが残っているとも取れる。加えて「ファンネル」と云う名称を知らないのもシャアの「時代遅れ」を感じさせて面白い。
そのシャアとは対照的に、この第三作の裏主人公と云うべき魅力を見せ付けたハマーンは、冒頭からその体型や声質で「二十歳の女性」を強く感じさせる。特に新作画により「少女」性が覗く仕草などがアクセントになり、策略をめぐらせる将としての器が如何に熾烈な意思と努力で培われたかが自然に伝わってくる。
終盤でハマーンの周りに「男」の将校が集まるシーンでは、彼女の小柄な姿がその将校達の体に埋もれて見えなくなっていくところに、男社会における「孤独」を強く印象付けられた。
そこで気になったのが、彼女の原動力である「利用され、捨てられた女が権力を身につけ、かつての男をひれ伏させようとする執念」が覗く、シャアへ謝罪を要求するシーン。
TV版では屈辱を感じながら頭を下げるシャアをしっかり描いたのに、今回、その姿を「カミーユの後頭部」で遮ったのは何故だろう。画面上ではあの場を支配している彼女を監督が揶揄しているのだろうか。シャアも頭を下げる事に別段抵抗無い風で終わったし。
今作で強調される「戦場で女を道具として利用する男」同様、そんな男に執着する女もまた愚かだ、と云う監督の皮肉かもしれない。
ところで、そのハマーンに利用されるミネバの声が「蟲師」みたく実際の、10歳くらいの少女の声になっていたのは、より傀儡として操られている感じが強調されて効果的だった。
監督インタビューによると、ミネバは実は「女の子に仕立てられた男の子」らしい。「ターンA」でもロランを女装させたりしていたが、結構「とりかへばや物語」がお好みの様だ。実際、戦国時代は敗戦国の世継ぎが皆殺しにされるのを避ける為そういう処置をしたという話もあるし、ジオンの策略として充分有り得る。
そういうのを読むとミネバが地球に降下した以降の物語が期待してしまうのは当然だろう。ちなみに「ZZ」でのミネバはラストで影武者と判明したので、結局彼女(彼)は行方不明になってしまったのかもしれない。或いはハマーンが逃がしたか。
そして、結局ハマーンに華を奪われ、カミーユも道連れに出来なかったシロッコが、別段高尚な思想を持った存在ではなく、単に女を利用する輩に「格下げ」されているのが何だか可哀想。THE-Oの十字光も必然性がイマイチ判らなかったし。
折角、前作で新たな人格を得たサラの声もまた変更されて残念。この二人が今回貧乏籤を引いた代表格な気がする。
あとはカットされたロザミィが何故カミーユの側に?くらいか。画的には、「逆シャア」同様にビームサーベルの粒子形成が荒い描写や、コロニーレーザー内部がデジタルならではの透過光処理で仄かに黄色く輝くのが良かった。カミーユが叫ぶ「賢い(かしこい)」は「賢しい(さかしい)」だったと云うのも永年の違和感が解消されて幸い。
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そんな訳で、見事に大団円に締めた「新約Z」。手放しで大傑作、とは評価出来ないものの、世紀をまたがってひとつの作品を別の角度から楽しめた幸福は素直に喜びたいところ。
年を経て、老成していく表現者が多い中、永遠の反抗期少年のまま瑞々しい物語を紡いでいく富野由悠季に敬意を抱きつつ、早くも春夏に待つ新作が観たくて堪らない。
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2006年01月21日
◆THE 有頂天ホテル
◆THE 有頂天ホテル Blog
「四年周期で映画を撮る」と云われている三谷幸喜の最新作は、ホテルを舞台にしたリアルタイム群像劇。大ヒットにつき、監督が来週、大阪にも舞台挨拶に来るとか。
昨年末に発売されたエッセイ集では「皆が挙げる代表作が過去のものばかりで寂しい」的な事をこぼしていたが、今作でその悩みは解消された筈。
最高傑作とは云えないが、三谷幸喜の代表作であり集大成なのは間違いない。
個人的には矢鱈豪華なオールスターキャストの中で、バックバンドに布袋寅泰の「VAMPIRE」やSMAPの「FLY」、「カウボーイ・ビバップ」等に携わった村田陽一が参加していたのがちょっと嬉しかった。
以下、モーレツにネタバレにつき注意。
・「THE 有頂天ホテル」超映画批評
・三谷幸喜データバンク
まさに「THIS IS 三谷幸喜」と評すべき映画な今作。
過去に三谷作品に出演したオールスターキャストは勿論、めざましテレビのインタビューでも「どんぶり」と強調していた長回しも演劇的効果をもたらしているし、これまでの作品へのセルフ・オマージュ(というかパロディ?)が満載なのも大きな魅力。
特に今回は三谷作品のお家芸とも云える「嘘」が大々的にフューチャーされ、役所広司の副支配人が別れた妻へ咄嗟に見栄を張るのは伝説の名作「三番テーブルの客」を思わせるし、各人が奇異な行動に奔走するのは舞台「その場しのぎの男たち」の再構築の様。
前作「みんなのいえ」の夫婦がカメオ出演したり、古畑のイチロー篇でも出て来た「バリトンホテル」、ベランダで飼える牛やヒヨコなどに続く動物ネタとして某保険会社を思わせるアヒルの登場なども物語を飽きさせない。(ちなみにこのアヒルの名前「ダブダブ」は麻生久美子の制服サイズへの伏線だったのだろうか。)
もう元FAIRCHILDという来歴を知らない人も多いだろうYOUも、キュートでコケティッシュなヴォーカルで面目躍如な活躍を見せ、大いにニンマリさせてくれた。
追)こちらのブログによると「ドリトル先生」に出て来る家政婦アヒルの名前が「ダブダブ」とか。なるほど〜。
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ところで、何故大晦日が舞台なのに昨年末に公開しなかったのかずっと疑問だった今作。
いざ観てみると上記リンクの「超映画批評」にもある様に、これはのんびりほんわかしたお正月ムードで愉しむのが相応しい事がよーく判った。
年の瀬の、ある種ピリピリした中で観るにはお気楽さがフライング気味だし、クリスマス前のロマンティックを後押ししてくれるムードは皆無。
悩みを抱えた人々がドタバタ騒動の後にホテルの名前である「AVANTI(イタリア語で「いってらっしゃい」「前方へ」)」の通り、年明けにちょっとだけ人生を「前進」する感動要素も割と控えめで、涙を流しに来た向きにはやや物足りないだろう。
香取くん演じるベルボーイはデビューが決まった訳では無いし、佐藤浩市の汚職国会議員・後藤田も、折角三谷作品史上に残る名台詞で格好良く去ったのに、何故か車の誘導をさせられる情けないオチにはカタルシスの欠片も無い。ま、その肩透かし感がいいのだけれど。
実際、今作は本編の魅力を全く伝えていないTVCMの様に感動作ではない。
やたら施された必然性が無い特殊メイクは単に三谷さんがやりたかっただけだし、何気に山寺宏一が声を担当しているダブダブ、妙に有能なアメリカン・ハードボイルドな小男ホテル探偵などが登場した時点で非現実的なバカバカしさ全開なのだから。
勿論「お涙頂戴」に辟易するタイプの自分でも、ベルボーイが熱唱する宴会ソングっぽい「ドン・キホーテ〜サンチョ・パンサ♪」で後藤田が自殺を思いとどまるシーンにはウルっと来た。
ただ、直後の西田敏行のつれない態度がその「感動」を程良く抑えてくれるし、松たか子による各人への説得も「ショムニ」以降の説教ドラマで「オマエに云われる筋合いは無い」と思える何様度は皆無で、愛人だった過去や経験から真摯さが伝わってくるなど、その辺りの匙加減、バランス感覚は流石の出来。
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とは云え、冒頭にも書いた様に、これが三谷映画最高傑作とは云い切れない。
残念ながら完璧なコメディである映画デビュー作「ラヂオの時間」と比較すると不満も残る。
得意のギャグ打率も7割程度と意外に低かった気がする。例えば「私の頭が何か?」は正直要らなかったし、ラストの垂れ幕落下もイマイチ。折角、原田美枝子が元美大生という伏線が綺麗だっただけにあの中途半端さは勿体無かった。
これは今回、過去二作からのスタッフ交替で、撮影監督が高間賢治から山本英夫にバトンタッチした事が大きな要因だと思える。
自分にとって映画を観る時に撮影監督が誰であるかは非常に重要だ。高間監督はフィルムの色遣いや画面温度の調整で暖かい情感や重みを感じさせ、メリハリの効いたアングル、ダイナミックな移動などでアメリカ映画の様な画作りをしていたのが魅力。何より「映像で語る」ポイントが的確で、このセンスが三谷脚本のギャグ効果を倍加させていたと思う。
対して山本監督は従来の日本タッチというか、粒子の粗い映像でドキュメントや演劇中継っぽい、どちらかと云えばドライな作風で撮るタイプ。この所為で「クールな人がギャグを下手に放っている」かの様な不発感を生んでしまった気がする。石井克人みたく不条理ものならまだしも、王道のコメディには高い温度が必要なのではないだろうか。
加えて、今作もアメリカ映画っぽいコンセプトなのを考えると、ここで撮影スタイルを変えなくても良かったと思う。
あと、群像劇と云えば今作でもリスペクトされている「グランドホテル」、「ショート・カッツ」、個人的にオススメな「マグノリア」などを想起してしまうのだが、このジャンルの特徴であり弱点にもなる「複数キャスト」で若干物語の厚みが薄くなってしまった。
勿論、各キャラのフォローはきっちりしていたとは思うのだが、「ラブ・アクチュアリー」みたく、「もうちょっと減らしても・・・」と思えたのも確かだ。
まあ、これが群像劇の難しいところなのだけれど。
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と、色々書いてみるも、オススメかと問われれば勿論オススメだし、老若男女が楽しめる傑作だとも思う。
ただ、今回新境地と云うより、言葉は悪いが「安全パイ」なベスト版とも云うべき集大成を作ってしまったからには、次作(四年後?)は新たな地平を開いて貰わなければファンとして納得がいかないのも事実。
なので今作の正式な評価は次作次第、という当分先の事になってしまった。何だかデヴィッド・フィンチャーの「ゲーム」を「ファイト・クラブ」観賞後に認める事が出来た自分を思い出したり。
そんな訳で、三谷さんの遅いお帰りを待つ決意を固めた正月明け。そろそろ気分切り替えてAVANTIしなきゃ・・・。
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投稿者 UT : 17:40
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2005年12月30日
一ヶ月無料体験中のWOWOWで「静かな生活」と「フォーン・ブース」と「閉ざされた森」を観ました。
以下、ネタバレ注意。
・WOWOW ※ブログ更新など著しく滞る為、継続視聴するかどーか考え中ですw
◆静かな生活
伊丹映画で唯一の原作付きの所為か、いつものシニカルさやユーモアはやや薄い感じ。とはいえ「精神障害」をテーマにした作品に多い、障害者を「天使」扱いする様な「お涙頂戴」展開にはならず、後半の1シークエンスなどは完全にサスペンスものになる変幻自在さは健在。
作品のテーマも「人間の善悪」と明確で、障害者だから犯罪を起こすという短絡的な偏見を生む事例と、「まさかあの人が」と驚くほどの善人面のまま暴力を爆発させる男のリアルな描写が、人間の「悪意」が如何に陰湿で複雑なものかをまざまざと見せ付けてくれる。
しかもその悪意を持った人間の一部が、劇中で何の制裁も受けないという、「あげまん」「マルサの女2」にも見られる報われなさも相変わらずの徹底ぶり。
ただ、この突き放したフラットな作風の中にも若干の「美化」を感じる箇所も幾つかある。「健常者の悪人」を過剰にした設定が障害者擁護とも取れるし、介護する家族は崇高な精神を持っているのだという演出は、原作者の大江健三郎一家がモデルなだけにやや鼻につく。
個人的には、昔住んでいた土地で有名な障害者が、自分の目の前で女の子を突然殴りつけた事件があったり、交際していた人が今作と同じく兄が同じ症状の為、ノイローゼになる程苦労していた姿の記憶がある。そういった暗部を一切拝してしまったのはやや残念だった。
ただ、あくまで本作は「寓話」テイストな為、そんな要素は不要なのかもしれない。少女にとって嵐の様な日々を「静かな」と表せてしまうラストは、爽快感が無く、その直前の事件の後日譚が一切語られないのでかなりモヤモヤするが、優雅なテーマ曲と仲良くくつろぐ兄妹の姿を観ていると「これでいいのかも」と段々思えてくる。
◆フォーン・ブース
「バットマン・フォーエヴァー」などの余りの酷さにダメ監督扱いにしていたジョエル・シュマッカー作でまさかの爽快感。ラリー・コーエンの脚本の良さもあるのだろうが、意外な良品にビックリ。
コリン・ファレルの演技力があるかどうかは微妙なところだけれど、1シチュエーションで85分がまったくダレないテンポと、適度に加わる事件の進展が的確過ぎて驚いた。
まあ、ついつい「謎」や「理由」を求めてしまうタイプには、結局そういったものが無いラストに若干拍子抜けするかもしれないがマイナスにはならないだろう。
主人公を脅す犯人の声も不快感と知性が程よいバランスで、どこかで聞き慣れた筈のこれは誰のものだろうとずっと考えてしまったが、自分はキャストを見ずに鑑賞した為、犯人役のキーファー・サザーランドが出た瞬間、「あ、そうか!」と納得してしまった。映画会社が「24」と同じく20世紀FOXなのもニヤリ。
◆閉ざされた森
いわゆる「どんでん返し」もの。「羅生門」へのオマージュらしく、雨が降りしきる中で複数の矛盾する証言に振り回される展開が小気味良い。
ただ、「ユージュアル・サスペクツ」や「猿の惑星」の様な心底驚愕する名作、とは言い難い。夜の雨の中でキャラの顔と名前が掴み辛いし、二転三転するエンディングはそれまでの筋運びに明らかな矛盾や破綻、疑問を生みまくるのが難点(レンジャー部隊のメンバーの顔を把握していない事や、毒殺という強引な手段)だ。
あと、情報量の多さが字幕では処理し切れていない気もする。「どんでん返し」ものでは無いが、クローネンバーグの「スパイダー」同様、吹替えで観れば良かった。
ただ、そんなものはラスト直前で畳み掛ける「大佐?」とトラボルタのセクシーで不敵な笑み、軽妙な音楽で暗転するラストカットの前には許せてしまうのが不思議。
監督のジョン・マクティアナンはかなり好きな監督で、レンジャー部隊の訓練シーンなどは「プレデター」を想起したし、多様化する展開や物事の裏表の描写は「ダイ・ハード(特に"2")」で唸らされた記憶もあるのでその辺も高評価になってしまうのかもしれない。
ちなみに「セクション8」の由来は語られなかったが、やはりベタに「8」はひっくり返しても「8」、表裏一体なのだ、と云う事でいいのだろうか。「オーシャンズ11」みたくシリーズ化出来なくもないかな、とも思ってしまった。
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投稿者 UT : 21:08
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2005年12月20日
◆伊丹十三の幻のフィルムが発見! (eiga.com) [記事]
一ヶ月無料体験で観てるWOWOWでちょうど特集してるけど、やっぱ凄い。改めて三谷幸喜(「マルタイの女」では脚本協力)に影響与えてるんだなー、とも確認。私的ベスト1は「タンポポ」です。
◆ジェームズ・キャメロン、再始動! (eiga.com) [記事]
「プロジェクト880」は3Dらしいけど、家庭用ハードがそのレベルに至ってないのが残念。
◆マッドハウスが、筒井康隆原作の2作品を劇場アニメ化! (CINEMA TOPICS ONLINE) [記事]
キャラデザに貞本義行など、ガイナ、ジブリ嗜好も狙った戦略がステキ。
◆「眠れる森の美女」など原画、40数年ぶりお目覚め (YOMIURI ONLINE) [記事]
権利云々で米ディズニーが妙な事を云い出さないか、ちと不安。
投稿者 UT : 20:39
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2005年12月05日
 | ムラサメ研で7番目だった場合。 |
◆機動戦士ZガンダムⅡ -恋人たち-
「誰も知らないラスト」に向けてのインタールードとしては、いささか性急で、淡白で、ゴシップの方が目立った第二部。
新作カットの作画は安彦キャラに忠実になってきたものの、フォウはちょっと下ぶくれでラ・フランス顔だったのがまた微妙・・・。
・「恋人たち」超映画批評
・シャア専用ブログ
・SWなZ
・川原泉なZ
・アレな感じなZ
三部作の真ん中はいわゆる「起承転結」の「転」になるのが最も理想的な形だ。古くは「スター・ウォーズ」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ロード・オブ・ザ・リング」などでは主人公の敗北、不幸、予想外なトラブルで流れを中断する事で完結篇への期待を募らせた。つまりダーク度が高ければ高い程効果的になる。
だが、今作ではそういった「引き」が薄い。肝心のラストに突如介入してくるハマーン・カーン率いるアクシズの登場も衝撃的とは云い難い。
ファンとしてはいきなり臆面も無く「シャアを迎えに来た」と云ってのけるハマーンの「女心」や、映画版初登場の彼女仕様な「ガザC」に驚いたが、TV版ファン以外の観客は「?」で終わっただろう。そういう心配をしてしまう辺りが今作の困った点だった。
しかし、だからと云って面白くなかった訳ではなく、旧作カットの粗さが前作以上に気になったとはいえ、フォウが海へ落下するシーン等は震えるものがあったし、「逆シャア」に繋がるシャアの「空気の読めなさ」などを出せる監督の余裕など、最後まで観ていられたのは矢張り「腐っても鯛」的なものなのだろう。
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公開前から物議をかもした「フォウ役声優キャスティング問題」だが、巷では「一部のTV版ファンが騒いでいるだけ」「そんなに悪くなかった」「矢張り元の声優にすべき」と意見は様々。
残念なのは、この問題が旧作との比較に終始してしまい、最も肝心な、作品において「キャラクターを活かしたかどうか」でなかなか評価されなかった点だ。
ただ、それを語ろうにも「登場時間の短さ」故に、観客はフォウをどういう扱い(メイン?脇?)で受け取ればいいか判断しかねるので始末が悪い。
例えば、宇宙に戻ったカミーユがファとキスしようとするシーンは元々のストーリーにもあったし、それはフォウの喪失感を他の女で埋めようとする男の身勝手な心理として自然に映った。
だが映画版では最初から存在していなかったかの様な印象で終わっている構成なのもまた不幸というか(ヘルメット云々は富野ユーモアとして好きな描写ではあるのだが)。
「フォウ・ムラサメ」はシャア、アムロにとってのララァと同じく、カミーユの魂をずっと呪縛し続ける重過ぎる存在だった筈だ。
しかし鑑賞中は、その余りの存在感の無さを観て、ひょっとしたらこの扱いの悪さは監督によるキャスティングへの抗議、もしくは作品への救済措置なんだろうか、と邪推してしまった。
まあ、実際は元々「短いながらも鮮烈な印象を残す」演出を狙っていたのに、声優に個性が無さ過ぎた、と取るのが妥当な見方だろう(ハマーンなどたった一言であの存在感だ)。
「悪くない」のはプロとして当然。欲しかったのは「記憶に残る声」だった。
真相はどうあれ、監督が後世まで観て欲しいと語った作品だけに残念な結果だと思う。
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反して、それ程話題にならなかった池脇千鶴のサラは、プロの声優陣の中で独りだけ浮いている、安定していない、との批判もあるが、こちらは完全に監督の意図通りだろう。
「猫の恩返し」でも耳障りの良かった彼女の柔らかな声質は、サラの「兵士」と「等身大の普通の少女」で揺れ動く不安定な心情をリアルに表現し得ていた。
ノーマルスーツに隠れたシンタ、クムとの会話に見せる優しさなどは、彼女だからこそ成り立つシーンだろう。TV版の声はやや完璧過ぎて強化人間的なきらいもあり、シロッコへの妄信が強い印象を与えたが、良くも悪くも「素人」な声が、サラの思考をニュートラルに見せ、感情移入し易くなった。他キャラとの差別化にも繋がる効果があったと思う。
そんな訳で、フォウの肩透かし感は、次作でのサラの行く末が気になる程存在感を増したクローズアップで程良くカバーされたと云えるのではないか。
と、全体的な印象より、ピンポイントな部分を取り上げざるを得なかった今作。
上記リンクの「超映画批評」や大方のブログの感想にある様に、「カットし過ぎ」「全体的に起伏が無い」二部にしてしまったツケは、完全新作な、TV版とは異なる誰も知らない最終作できっちり払って欲しいところだ。
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投稿者 UT : 21:15
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2005年11月17日
◆手塚漫画「どろろ」が妻夫木&コウ主演で実写映画化! (SANSPO.COM)
このキャストと非アクション系監督なので正直全く期待してないけど、それくらいの気持ちで観ると良かったりして。京都の善峰寺などでロケするとか。
そういや大塚英志がこれと「火の鳥」をくっつけて摩陀羅を書いたりしてたなー、と想起。
原作は前半のみ支持してます。「オマエ、女だったのかー!」設定の元祖でもあるのかも。
・沙村広明版「どろろ」※描くべくして描いたって感じ。
・どろろ (Tezuka Osamu @World)
◆独映画のポスター、史上最高値の69万ドルで転売 (Yahoo!)
「メトロポリス」は未だ観た事ないけど、登場するロボット「マリア」がスター・ウォーズの「C-3PO」やコブラの「クリスタル・ボーイ」のモデルになった、とかは知ってるレベル。
音楽が大幅に異なる26年版と84年版があるそうで、ちょっと興味が沸いてきた。
◆『サイボーグ009』ハリウッド実写映画化・2008年公開予定。 (英語で!アニメ・マンガ)
先日の続報。無難な選択かなー。「X-メン」テイストでいけそうだし。
◆マリリン・マンソンが超エグい役で映画出演決定 (ABC振興会)※ちょい18禁?
ダチョウを喰うところに恐怖も異常性も感じないんだけど、何かのメタファーとか?
[その他]※全てeiga.comから。
◆ゾンビ映画の巨匠がスティーブン・キング作品を
適材適所。
◆日本人監督が、デスクトップ1台で作った凄い映画
予告編が黒沢清の「CURE」×クローネンバーグの「イグジステンズ」な感じで面白そう。
◆「ターミネーター」のTVシリーズが製作へ
キャメロンが絡むなら観たい。「ダーク・エンジェル」と同じスタッフとか。
投稿者 UT : 08:31
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2005年11月09日

◆ブラザーズ・グリム
イカサマ賞金稼ぎの兄弟が、10人の少女が姿を消した暗い森の魔女へ挑む冒険活劇。
出来れば事前に「グリム童話」を読んでから観賞するとパロディや小ネタが愉しめる筈。
ところで何故「グリム・ブラザーズ」じゃ無いんでしょ? ブラザーズ・クエイもそうだけど。雰囲気?
以下、ネタバレ注意です。
・「ブラザーズ・グリム」超映画批評
・「ブラザーズ・グリム」シカゴ発 映画の精神医学
・グリム童話 (Wikipedia)
実在したドイツの文学者兄弟が主人公のストーリー。
と云っても、ピーターパンの作者を描いた「ネバーランド」や「ビューティフル・マインド」の様な「伝記」形式では無く、古くは「RAMPO」や「恋におちたシェイクスピア」、マンガなら柳田國男、折口信夫が登場する「北神伝綺」「木島日記」といった大塚英志作品と同列の完全なフィクションタイプだ。
舞台はナポレオン占領下のドイツだが、「K-19」のロシア人と同様、登場人物達はイタリア、フランス、ドイツ、それぞれの訛りを施した英語を喋っているのがハリウッドスタイル。
アクシデントと挫折を超えた、7年振りのギリアム作品に大いに期待して臨んだ観客は結構多かったと思えるが(私もその一人)、残念ながら彼で無くともいいレベルの凡作と評価せざるを得ない。
全体的に冗長で、モンティ・パイソン時代のイラストや「12モンキーズ」のタイムマシンの造形などに見られた独特の美意識はあまり感じられず、CGの質も平面的で、ヘンゼルのスカーフの動きの陳腐さには呆れてしまった。
同じファンタジーでも、色んな世界・時空を飛び回った傑作「バンデットQ」や「バロン」と違い、村と森を行き来するだけの一本調子な「狭さ」も彼らしくない。
どこかユーモラスな生首や、わざわざハッキリ見える様にウサギの皮を剥ぐシーンの露骨さ、子供達に「グリム兄弟はあんな人達だったんだー」と思われては拙いブラック設定等はギリアムらしい悪趣味ではあったが・・・。
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ちなみに、過剰に期待したギリアムらしさを除いてみると、アーレン・クルーガーによる脚本は、中盤やや単調で退屈な向きもあるが、小道具や伏線はキッチリ活かされ、ラストで悪の生存を匂わせる締めは王道過ぎるくらい王道だ。
女王の塔が崩壊するなども定番だし、今時ここまでセオリー通りでいいのかと心配してしまったが、そもそも童話自体が今日のドラマツルギーの元になっているのを考えると、案外意図的に話を紡いでいたのかもしれない。例えDVDなら飛ばしたくなるシーンがあるとしても。
この「悪くは無いが格別面白くも無い」という中途半端なストーリーを補完してくれるのは、冒頭にも挙げたが要所要所に散りばめられた「グリム童話」のパロディ。
一応、この冒険を経て兄弟は作品を書いていったんだろうなぁ、と思わせる様に「赤ずきん」「ヘンゼルとグレーテル」の少年、少女や魔女、猟師などのオールスターキャストが登場する箇所はツボを心得ている。
パーカースタイルの人狼のアイデアは割と新鮮だし、シンデレラの元ネタや、これはグリムとは関係無いが、兄弟を苦しめる仏将軍がナポレオンよろしく「四本指」っぽく手を見せるなどの細かいネタには笑ってしまった。
ただ、これだけを観に行くのでは意味が無いし、メロドラマ好きな女性ですらラブストーリー要素に感情移入出来ないだろう人物造詣の薄さはカバーしきれない。
あと、「作り物のモンスターでイカサマ行為を働く兄弟が、本当の怪異に巻き込まれていく」という筋運びのリアリティもあまり感じられなかった。
これはティム・バートンの「スリーピー・ホロウ」にも共通するのだが、「中世」という時代設定が邪魔をしているのではないだろうか。
例えば現代社会なら、誰もがモンスターなど信じない、という前提がある為「悪魔」や「怪物」の存在感が引き立ち、それが現実味を醸し出すのだが、昔の迷信深い田舎等では怪物が登場する事にそれ程ショックを受けず、寧ろ信じ込む「無知な民衆」が多い。しかも当然「信じない」者もいる、という宙ぶらりんなバランス。
ファンタジーRPGの様に100%それらの存在が肯定されている訳でも無い。
今作でも、村に現れるクッキーマン等のモンスターにも恐怖を感じる程「非現実感」を覚えず、寧ろ馴染んでしまっている画になっているシーンもあり、鑑賞する側としてはイマイチ物語に対するスタンスが掴みにくい。
「グリム兄弟」という実在の人物が登場するのも一因だったかもしれないが、そこを引き込む作劇にして欲しかったところだ。
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とはいえ、面白くなかったかと云うと困る作品でもある。
先述した様に「王道の脚本」な為、後半からラストにかけての流れ、エンディングでニヤリとさせる引きなどはちゃんと的を射た締めになっている。
キャストも、ピーター・ストーメアとマット・デイモンは流石の演技でヒース・レジャーとレナ・へディの淡白な印象をカバー。
終わってみれば、グリム童話全てを読み返したくなる余韻もあり、「凡作」ではあるが「駄作」とは云い難い微妙な作品だ。
やはりこれはギリアム作品クオリティというか「腐っても鯛」といったところなのかもしれない。
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投稿者 UT : 00:00
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2005年11月07日
◆ティム・バートンのコープスブライド
19世紀のロシア民話を元にしたダーク・ラブ・ファンタジー。
ところで記事タイトルは冒頭のミュージカルパートからの引用だけれど、「微に入り細を穿ち」では?と野暮なツッコミをするジャポニカロゴスな私。
以下、ネタバレ要注意です。
・「コープスブライド」超映画批評
・「コープスブライド」映画の森てんこ森 ※民話あらすじあり。
・安達祐実のコープスブライド
「チャリチョコ」の対象がどちらかといえば子供向けだったので、こちらは大人の切ない三角関係かと思い込んで鑑賞したのがちょっとしたミスだった。
つまり、老若男女安心して鑑賞出来るストーリーに仕上がっているが、良くも悪くも非常に「童話」的な「矛盾」が目についてしまい、「ツッコミ」モードになってしまったのだ。不覚。
勿論、映画自体は大いに愉しみ、落涙もしたのだが。
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まずキャラクターが主役から悪役まできっちり立っている処に好感が持てる。
主人公ヴィクターの頼りなく、同情が横滑りし易いが何となく周囲が助けてやりたくなる性格といい、「死体の花嫁」エミリーとヴィクターの婚約者ヴィクトリアのキャラ対比も的確。
片や「薄倖」という二文字に相応しく、騙され易い向きもあるが心優しい長身スレンダーな美女、片や愛嬌と母性を併せ持つ、小柄で可愛らしい娘。双方共に魅力的なのが「三角関係」もののツボを心得ている。
両家の父母もアクはあるがどこか憎めず、取り巻くキャラも不快感はまるで無い。
声優陣も文句無く、デップの「チャリチョコ」っぽいナイーブな高音は勿論、特にエミリー役のヘレナ・ボナム・カーターは「生来の品の良さ」が滲み出ていて絶妙。
個人的傑作「ファイトクラブ」では彼女の退廃的な役柄に違和感を覚えたが(女優としては難点かもしれないが)、今回はしっくり来るキャスティングだった。
他には、ジェーン・ホロックスとマイケル・ガフ(グートネクト長老役)の参加も嬉しかった。
ホロックスは、前半・大傑作、後半・凡作で失望という迷作「リトル・ヴォイス」の主演でキュートな声に惚れてしまった女優。日本で云えばYOUと声質が似ているのかも。
ガフは今作と同じくバートンが監督した「バットマン」の執事アルフレッド役で印象深い。
特にホロックスはヴィクトリアの乳母の老女とエミリーの友人であるブラックウィドー(黒後家蜘蛛や未亡人という意味なのも洒落が効いている)の二役で声が聴けて何よりだった。
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筋運びも停滞する事なくテンポ良く進み、後述するがツッコミ所があるにしても退屈せず、要所要所に入る細かいユーモア、ギャグもことごとくツボ。
後半、死者の国から大挙して地上へ出て来たガイコツ達が、遺してきた家族と再会する下りなどは、暖かみを感じつつも、肛門の匂いを嗅ぎ合うスクラップスと生きた犬のシーンなどは吹き出してしまった。
この辺りのバランス感覚がバートン映画だなー、と実感させられる。
「ストップモーションアニメ」も期待通りで、冒頭、ヴィクターがピアノの椅子に座り直す細かい描写で感嘆した。
色褪せた地上とカラフルな死者の国の対比も判り易い。
そして最も気になっていたエンディング。
三角関係である以上、一人は不幸になってしまう部分をどう消化するのかと懸念していたが、ここは期待を大きく上回ってくれた。
元になった民謡ではエミリーは少々哀しく地味な結末を迎えているが、今作で彼女が幾多の蝶となって月夜へ飛翔していくシーンは非常に美しく、ホロリと来ずにはいられない名演出だ。
「シザーハンズ」のラストに勝るとも劣らない。
このシーン、古来から「蝶が死者の魂を運ぶ」という云い伝えがあるので、彼女の魂を天国へ運んだとも取れる。
ただ個人的に、今作に於ける死人は、現世や人生に未練がある内は「死者の国」で自由や娯楽を謳歌し(「煉獄」とはまた違う気も)、全てが満たされると何らかの生命として「転生」する、という解釈をしてみた。
この後、エンドロールを観ながら涙を拭いつつ、彼女には結婚したヴィクター達を見守りながら蝶としての一生を終え、再び人間へ生まれ変わり、今度こそ幸せになって欲しいなぁ、と素直に思った。
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で、ツッコミなのだが、まずそもそも何故エミリーが片腕だけ地面から突き出していたのかが判らない。
もう根本的な部分だが、そこでずっと誰かを待っていた、等ならともかく、彼女が死者の国に自分の家を持ち、暮らしている様子が描かれるにつけ、「何してたの?」との疑念が頭から消えず困った。
それと同様に「地上と死者の国を行き交うのが困難」と云う割に、エミリーはヴィクターと出逢った時、既に地上に居た訳で。ここでも「どうやって移動してきたの?」との疑問。
毎回長老に秘薬を作って貰っていた訳でも無さそうだし。それともアレはヴィクターみたいな「生者」が地上に帰るのが難しい、という事だったのだろうか。
「童話」の矛盾をつく野暮は重々承知なのだが、いかんせん、冒頭に書いた様に「鑑賞モード」を間違えたので仕様がない。つくづく残念。もっと浸りたかった・・・。
他は、ツッコミでは無いが、もう少し物語中の時間を長く経過させて欲しかったという希望がひとつ。
一夜で全てが終わる必然性を余り感じなかったし、何よりヴィクター、ヴィクトリア、エミリーの三人が全てその日初めて会った関係なのも引っ掛かった。
愛情の深さと時間の比例は関係無いとは思うのだが、「愛し合えた」のかどうかがイマイチ実感出来ず。
ヴィクターがわざわざ地上で式を挙げた意図も不明確で、本当に結婚したかったのか、逃げる口実だったのかが曖昧なままだったし、エミリーとの結婚もヴィクトリアを取られ、地上で必要とされなくなった為の自暴自棄とも取れる。
例えば、何日か死者の国で過ごし、エミリーと絆を深める様なエピソードを入れ、ヴィクターにも観客にも心から地下も悪く無いと思わせる様な展開が欲しかった。
ヴィクターとエミリーのピアノの連弾だけでその繋がりを表現するのは、今ひとつ押しが弱かった気がする。
後、ミュージカル形式にするメリットも薄かった。そもそもタモリ並みにミュージカル嫌い(とゆーか興味無し)な自分でも「ナイトメア〜」には納得出来たが、今作ではそれが全編に渡る訳でも無く、クライマックスにも使われなかったのも中途半端な印象だ。
「チャリチョコ」のウンパルンパが良過ぎたのかもしれないが・・・。
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とはいえ、あくまでこれらは贅沢な文句に過ぎないし、繰り返すがラストには感涙した。
上記に挙げた箇所も「まあいいか」と思わせられるものだった為、全体的な評価は高いし、誰もが安心して観られる作品に変わりは無い。
冒頭に書いた様に、「これは童話!」と認識していけば妙なツッコミ心は生まれないだろう(私だけか)。
ところで主人公の名前「ヴィクター」。元々は「勝利者」という由来を持つらしいこの名。フランケンシュタイン博士の名前も「ヴィクター」なのだが、両者とも「死者」が絡む設定の符合に独り笑ってしまった。
他には「ヴィクター・ヴィクトリア」なんかも思い浮かんだりしちゃったりなんかして。
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2005年10月07日
◆シン・シティ 公式サイト ※要Flash。音声要注意。
汚れた街に炸裂する暴力と愛。鈴木清順を想起する、モノクロの中で輝く色彩を描いた最新のテクノロジーとクールな演出が産んだ極上のフィルム・ノワール。
自分の中で、アメコミ原作ものでは「ディック・トレイシー」、「バットマン リターンズ」 以来のヒット。
・「シン・シティ」超映画批評
・「シン・シティ」シカゴ発 映画の精神医学
小学生の頃、図書館で「マルタの鷹」や「長いお別れ」などを借りて読んでいた、ちょっと背伸びした(というか可愛くない)子供だった自分にとって、先日エントリーした「ストレンジ・デイズ」等の様に、「暴力」「悪」「裏切り」が渦巻く闇の中で登場人物がもがき、苦しみ、一筋の光を求めて戦う姿が繰り広げられるハードボイルドやノワールは常に心惹かれるジャンルだ。
この手の物語の登場人物は大抵生活も心も汚れていて、暴力を日常的にふるい、誰も信用しない。ただ、そんな最悪の環境の中で、ある事件や出逢いが契機となって、元々自分の中に眠っていた純粋な正義や愛情を揺り動かされる、という様な展開に強い魅力を覚えてしまう。
ただ、その結果、主人公達が悪役に振るう暴力を肯定せざるを得なくなっていくのだが。つまり自分は「暴力や殺人はいけない」とは明確に云えない。
しかし同時に、平和な日常を描いた、ほのぼのとしたストーリーに突如「闇」を持ち込まれると非常に不愉快になる人間でもある。例えばマンガ「人間交差点」、ドラマ「ひとつ屋根の下」等の暴行シーンは見るに耐えない。大事なものを汚される様な嫌悪と恐怖が襲ってくるからだ。
「シン・シティ」に登場する三人の男達は、各々が愛し、大事に想う人々がそういった「闇」に汚されそうになるのを、同じく「闇の力」を以って排除しようと命を懸ける。だから「暴力反対」を掲げる人々の眼には、彼らの行動は「どっちもどっち」に映るだろう。それは間違ってはいない。
ただ、「罪の街」でしか生きられない人々が懸命に足掻いて放つ生命力の輝きからは、どうしても顔を背けることは出来ない筈だ。
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今作で採用された「三つの物語」を時系列を入れ替えたオムニバス形式は、ロドリゲス監督は勿論、今回1シークエンスの演出で参加しているタランティーノもお得意な手法(「パルプ・フィクション」「フォー・ルームス」)。このやり方はもう一度観たくなる効果もあり、作品の謎や深みが増す。
とはいえ、今作での各ストーリーの関連性はそれ程重要ではなく、伏線をじっくり探さないといけないものではない。あくまでも登場人物がクロスオーヴァーする箇所を愉しむ程度のものだ。
日頃「謎」ものに凝っているタイプとしては少々物足りなかったが、それが作品のマイナスになる事はなかった。
それは、幾度車に撥ねられても平然と立ち上がる心優しきタフガイ、マーヴをはじめとした主人公達の「暴力と愛」がそんな深読みなど吹き飛ばしてしまうからだ。
ちなみにそのマーヴ役である、小さい頃好きだったミッキー・ロークが醜い特殊メイクを施して現れたのには当初面食らった。何故わざわざこの役を?と(かつて「ジョニー・ハンサム」でのロークも醜男メイクをしていたが、後半は整形した、という設定で美しい素顔を見せていた)。
しかしその疑問は、彼の物語を追う内に解消する。プロの娼婦ですら相手にしてくれない醜い顔への負い目から頑強な肉体を造り上げたのだろうマーヴの心は、不思議とそのコンプレックスの所為で捻じ曲がる事も無く、少年の様に純粋で、しかも所作や仕草からは意外にもセクシーさが漂ってくる。
一晩だけ自分と寝た娼婦ゴールディの為に奔走する彼に、ゴールディの妹や仲間の娼婦達が協力していくのは仇打ちの想いは勿論、この魅力に惹かれたからに他ならない。
なるほど、単なる醜男を配役したのではこの演出は無理だっただろう。唯一メイクしていないロークの眼差しは深く澄んでいるし、タバコを吸う指先の色気は往年のままだ。これらロークの持つ生来のセクシーさを醜男の強靭な肉体に埋め込む事で、マーヴのキャラクターとストーリーは今作随一のものになった。
まあ個人的には、ゴールディが「天使」と思える要素は短いベッドシーンだけでは感じられなかったりと違和感や不満が無くもなかったが。
そもそも彼女は自分の身を守るボディガードを求めてマーヴに近付いてきたのだろうし、女性経験が少ない(または皆無の)マーヴにとっては枕を共にしてくれるだけでも嬉しかった為、入れ上げてしまった様にも見える。
ただ、マーヴ本人からすれば私(観客)になぞ判って貰う必要は無いのだろう。
とことん自分を追い詰めていく不器用で哀れで、そして純粋に優しいマーヴがゴールディに愛を感じて、命を懸けられたのならそれでいい(とはいえ「娼婦」である事に少々ショックを受けていた箇所もあって、そこが可愛らしくもある)。そう感情移入できる程、彼は魅力的だった。
ちなみに他ストーリーの主役といえば、ドワイト(クライブ・オーウェン)は何かヒーローを気取っている勘違いした宇梶剛士に見えたり、元カノ・ゲインとの熱いキスの後、「車を用意しろ!」と決めるシーンはルー大柴みたいで(要するに濃ゆい)思わず吹き出してしまったw
ただ実力自体は本物だったし、彼のキャラの弱さは最強の殺人兵器ミホ(デヴォン青木)やジャッキー・ボーイ(ベニチオ・デル・トロ)がオイシクカバーしてくれたので、話が中だるみする事も無く、一番安心して観られたパートだったと思う。
ところでドワイトは結局元カノとより戻すの?ウェイトレスどーすんの?と思ったりもしたが、劇中でお互いに「ずっと愛している、でも自分のものにはならない」と云っているので、くされ縁というか、同士の様な関係で続編にも繋がっていきそう。
そして大トリ、ハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)は余裕の渋さ。矢張りこの人に期待を裏切られた事は無い。「こちらブルームーン探偵社」からのファンとしては嬉しい限り。
難を云えば、60~68歳の老人には見えなかったし、各話では最も哀しい結末を迎えたキャラだったけれど、個人的に「ダイ・ハード」時代からこの人の「地面へ仰向けに転がって銃を撃つ」シーンが好きだったので、今作でそれが観られて大満足だからチャラという事でw
この「所詮個人は組織に勝てない」というバッドエンディングでいいのか、という後味の悪さは、ジョシュ・ハートネットの何かが感情から欠落した様な殺し屋が、かろうじて仁義を感じさせる小さなカタルシスで締めてくれるお陰で薄めてくれるし、ホビットを思わせる軽快な動きの恐るべきサイコキラーを演じたイライジャ・ウッドも含め、これほど俳優が映画の完成度を高めた映画は無いのでは、と思えるキャスティングだった。
これだけで「シン・シティ」は傑作になったといえるだろう。
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原作のフランク・ミラー(今作でも教会の司祭役でカメオ出演)は、少年が麻薬組織の幹部、というこれまたダーティな設定な「ロボコップ2」の脚本でしか知らなかったが、小池一夫 みたいな陰影と死生観溢れる作風にすっかりヤラレてしまった。
すでに決定している「シン・シティ」の続編やバットマンのコミック2作が非常に愉しみだ。
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投稿者 UT : 19:36
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2005年09月18日
Cut10月号
「ジョニー・デップの映画は何故おもしろい?」と題した巻頭特集から最後までデップ尽くし。
とりあえず彼のヨメというかパートナーのヴァネッサ・パラディがエライ事に。
・Cut 公式サイト
ブラッド・ピットやコリン・ファレル、日本で云うとオダギリ・ジョーなどのオトコマエ俳優って、何でプロモーションの時は「ヒゲ面」なんだろ。美形の人ほど自分の顔に対するコンプレックスが強いってやつなのか。
と、ゆー訳でやっぱり「チャーリー〜」で来日したデップもヒゲでした。
今号ではデップの主な出演作をピックアップし、鑑賞ポイントやおすすめ度を列記。
勿論、いくらプロのライターが書こうが所詮好みなんで、あくまで未見作は参考程度に捉えないと。
とりあえずP34の、京極夏彦風に云うと陶器人形(ビスクドール)の様な横顔の美形ぶりにびっくり。
そして何よりP114、P132が今号のハイライト。デップ最愛のパートナー、ヴァネッサ・パラディ5年振りの最新作のタイトルは・・・
「エイリアンvsヴァネッサ・パラディ」
・・・観たい!
明らかに公式サイトのURLを「AVVP」にしたかっただけだろ!ってなタイトルが素敵過ぎる(蛇足ですが「エイリアンVSプレデター」は「AVP」)。
レニー・クラヴィッツとパトリス・ルコントファンの私としては忘れ得ぬ存在である彼女の凄さを改めて納得。
夫婦揃って作品の選択眼が突抜けてる・・・。
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ちなみに個人的に好きなデップ作品を、ベスト5とゆーか順不同で5作挙げると、
オープニングのテロップで脚本が「セブン」の
アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーだと判った時点で傑作を予感した作品。
美形なのに、とことんヘタレで空回りなイガボッドが魅力的だったし、伏線もバッチリ。ただ途中までは科学的に進めながら、ラストで超自然的な展開になったのが少し残念。あくまで人間の起こしたトリックの方が良かったな〜、と。
何と云ってもラストの童話的な美しさ。これを観るためなら醜い住民やムカつくウィノナを我慢しても惜しくは無いw
とゆーか今号の写真、あのシーン載せたら駄目でしょう。未見の人に失礼過ぎる。「猿の惑星(オリジナル版)」のDVDジャケットと同じくらい酷い。
この作品で初めてデップの「演技力」の高さを知った。単なるオトコマエじゃなかったのねー、と。
閉塞していく状況を一気にクリアにする彼のパフォーマンスは、滑稽ながら感動してしまう。
「切り裂きジャック」がテーマというだけで高評価w
でも恋愛の過程や陰謀はいささか陳腐なので、これはもうデップの退廃した美形ぶりと彼の能力である予知ヴィジョンの妖艶さ、そして忠実な部下を演じたロビー・コルトレーンがオイシイところを持っていく「金貨」の使い方に賛辞を送るのみ。
とりあえずニール・ヤングのサントラとのシンクロが鳥肌もの。後は個人的にトマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」などでも有名な「ウィリアム・ブレイク」が主人公というだけでも観る価値があった。
以上です。
やっぱダークと非現実な方面に偏ってるなー。ファミリーで観れるのは「妹の恋人」くらい・・・?
「チャーリー〜」も勿論好きだけど、上記に比べるとちょっと「淡白でフツー」な印象。
と、かなり充実した今号、久々に買った甲斐がありました。特にヴァネッサw
ただAD中島英樹のアートワークがちょっとイマイチだったのが唯一の残念なとこ。パワーダウンしてるのかも・・・。
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投稿者 UT : 00:34
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2005年09月16日
 | てへ♥やっちった〜 |
◆チャーリーとチョコレート工場 公式サイト
子供達が哀れな末路を辿る度、笑って誤摩化そうとするウォンカにペコちゃんがダブって見えた。
そんな彼のテーマソングは記事タイトル曲でキマリ。(唄は伊武雅刀。歌詞はコチラ)。
と云っても児童虐待などカケラも無く、「ブラックユーモア」も全然キツくない映画なのでご安心を。
以下、完全ネタバレにつき要注意!
・映画公式サイト(米国版)
・「チャーリー~」超映画批評
・安達祐実のコープスブライド
夢のチョコレート工場長 ウィリー・ウォンカが、悪い子供達を次々にお仕置きしていくブラックコメディ、という予想は良くも悪くも外れた。
今作で一番「子供」だったのは実はウォンカであり、人間不信で愛情に飢えた彼がチャーリーという純粋かつ確固たる信念を持った友人を見付け、彼に背中を押して貰う事で「大人」にして貰った成長譚、という道徳的なエンディングに少々拍子抜けしたものの、それを差し引いても2時間たっぷり異世界に浸っていられた佳作。
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「アダムス・ファミリー」の一族並に空々しい「家族愛」が嫌いな自分が、30度傾いた家で三世代同居するチャーリー家にはスッと感情移入出来る演出バランスがまず良い。
チャーリーの「いい子」ぶりもワザとらしくなく好感度が高いし、善人揃いの家族でも特に「ブタめ!」「トンマか!?」などのたまうジョージじいちゃん(多分父方?)の毒舌キャラがツボにハマってしまった。
皆が孫への優しい愛情表現をする中で、彼はピリっとスパイスの効いた存在になっている。この程よい割合の「愛情の調合」がチャーリーの人格形成に役立ったんだろうなー、と納得出来る設定だろう。
まあ、その「いい子」キャラ設定のチャーリーが、拾った10ドルでチョコを買う違和感とか(まあ余程チケットが欲しかったんだろうし、購入もチョコ一枚だけにしてたけど)、ミュータント化されたw 子供達や破壊したチャーリー家へのウォンカのフォローがゼロ、我が子を酷い目にあわされた親達が誰も強く抗議しない(内心いい薬と思ってた?)、など、童話ならではの「いい加減」さというか突っ込み所は満載だが、それもジョニー・デップの演技の前では些事に過ぎない。
その今作で最も重要なキャラであるウォンカは、ど派手な紅いスーツを着用し、引き蘢り特有の白い肌とズレた会話の間を持つ明らかな変人。でもどこか魅力を感じさせる人物造形になっているのは、演技力は勿論、髪型は「ふかわりょう」なのに土台の違いがモノを云うデップの美形っぷりの成果。
まあアップになると小皺が目立つのは不惑のご愛嬌として、この美貌に比肩し得るのは櫻井さん家の敦司さんくらい。(または怪演ならお任せの三上博史?日本でリメイクする際は是非彼で)
「炎天下でも溶けないチョコ」や「フルコースディナーの味がするガム」以外に、伝送装置や自由飛行可能なエレヴェーターなど、劇中でIQの高い少年が「バカか!?こんな技術をチョコだけに使いやがって」みたいな台詞が出るのも仕方が無いくらいの万能ぶり。しかもこの想像力が映画後半で枯渇する原因が平凡ながらグッとくるものになっていてメリハリが効いている。
ただその奇矯な外見の中にも、妙に美しく矯正された歯やピッチリしたゴム手袋が観客に印象深く映るのは偶然ではなく、登場時から小出しにされる父親への憧憬の伏線になっているのが見事。
ラスト付近で、クリストファー・リー演じる父親と、ぎこちなくも感動的な和解の抱擁をするシーンでも、互いのゴム手袋がキュキュッと鳴って、ちょっと面白くもホロッときた。
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もうひとつのポイントは「わがままな子供達の末路」。鑑賞前に見た批評では「子供達が可哀想」的なものが多かったが、それ程でも無く、ブラックユーモアの嗜好がある人なら甘受出来た他愛無いレベルだったと思う。
アレで酷いって思う親は、将来同じ育児の悩み抱えるよ、と断言しときましょう。
まあヴァイオレットの肥大化なんかは「AKIRA」の鉄雄を想起してしまい、まさかグロオチに?と一瞬不安になったけれどw
そして矢張り、何と云っても子供達がひとり、またひとりと犠牲になる度に踊るウンパ・ルンパが堪らない。ディープ・ロイの一人三十役の群舞と敗者にムチ打つ様な歌詞に、終止笑いっぱなしだった。もうティーンホラー並みに「早く次の犠牲者を!」と願った程。来年の「かくし芸大会」でパロやるなら、池乃めだか師匠かパパイヤ鈴木でひとつ。
まあダニー・エルフマンの素晴らしいメロディに乗れるかどうかで評価は割れると思うが(唄の間に席を立つ客もいた)、クイーン等のパロは流石元オインゴ・ボインゴ。
パロと云えば映画好きなら「TVルーム」で「2001年宇宙の旅」のモノリスがチョコ板にされたり、「ザ・フライ」ばりに転送されたティーヴィーを「サイコ」の包丁が襲うシーンにニンマリ出来た筈。
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ただ「子供達の招待」の理由が「後継者探し」だった、というのが個人的にちょっと贅沢な不服。
まあ、劇中で子供達が脱落していく過程に作為を感じたり、時折親子達に向ける冷たい視線や含みのある態度に「陰謀」や「復讐劇」を妄想してしまった自分が悪いのだけれど。
「白髪」で年を感じるなどはアメリカも同じなのかー、とちょっと笑ったが、もしチャーリーがいなかったらどうしたんだろう、という無謀さも引っ掛かる。
例えば、全員過去のスパイ事件の関係者で、クルミ工場の社長こそあのスパイだったとか・・・(だって意味あり気にウォンカと互いに見つめ合うシーンとかあったし)。
実際そう思わせといて、という意図的なミスリードだったのかもしれないが、「スリーピーホロウ」で、どんな人為的なトリック?と期待してたら結局敵は超自然的な存在だった、というオチを観た時の気分が蘇ってしまった。
サスペンス好きの弊害だなー。もっと純真な気持ちで観るべきだったw
あと、する必要は全く無いが、バートンの代表作「シザーハンズ」と比較した場合、差別意識溢れる登場人物(特にウィノナw)に腹が立つ事も無い代わりに、ラストの「何故街に○が○○のか?」が判るシーンの様な、思わず感嘆の拍手を送ってしまった素晴らしい感動も無かった、というのが正直なところ。
冒頭に「名作」では無く「佳作」と書いたのもこの辺りが理由で、やはり少々淡白な作りだった事は否めない。
とはいえ、総体的には素直に「面白かった」し、改めて親子で観に行って欲しい作品だと思う。下手な文部省推薦映画より余程大事な事は学べる筈だし、最低でも子供自身が反面教師であーはなりたくないと思えれば儲け物だろう。
二回目も多分行くだろうけど、今度は「香り付き上映」の劇場にしよーっと。
追)どーでもいいけど原作本が何か高いのが腹立つw
[イラスト元ネタ]
・ペコポコバンク※「ギャラリー」でサッカーしてるペコちゃんが舌噛みそうで心配。
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投稿者 UT : 00:12
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2005年09月13日
「チャーリーとチョコレート工場」上映館に漂う香りを体験。 (Narinari.com)
流石ヒルズ。なんばパークスとはやっぱ違う! ここで観たかった〜(高槻行こかな)。「アロマトリックス」のネーミングはイタイけどw
ちなみに「香り付き上映」といえば「RAMPO」を思い出すのだよ明智くん。ウチの「チャリチョコ」感想はネタイラスト描けたらアップ予定です。
投稿者 UT : 22:06
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2005年09月10日
 | 縦笛の 代わりに 解剖用ナイフ |
「ハンニバル」続編、若き日のレクターが決定? (eiga.com)
名(迷)プロデューサー ディノ・デ・ラウレンティス(「ハンニバル」「DUNE」)が追う4匹目のドジョウ。今度はレクター博士の少年〜青年への成長に4人の「美形」俳優を使って女性客を取り込もうとしてるそーな。安直なw
とりあえず「ヤング」はやめません?英語としては勿論正しいんだけど、日本で使うと「死語」に聞こえるのが不思議。小説と同じでいこーよラウレンティス。
トマス・ハリス ※原作者について
「ヤング」と聞くと「ヤング・シャーロック」や「インディ・ジョーンズ 若き日の大冒険(原題"The Young Indiana Jones Chronicles")」を連想する私は結構スピ好き。
監督は「真珠の耳飾りの少女」のピーター・ウェーバー、脚本は原作者であるトマス・ハリス自身が担当する。
原作の「ビハインド・ザ・マスク」は、11月29日に全米リリース予定。※公開は未定
遂にハリス本人が脚本で登場。いつの間にか「レクター博士」に本人も取り憑かれたご様子。
正直もうライフワークになっちゃって芸が無いというか(でも新作多分買うけど)。今回の参加は過去作の改竄が気に喰わなかったのか、原作売り上げプラス高額の脚本料を見越しているのか。
失敗したら脚本家の所為に出来ないけど、キャラの心理や性格の芯がズレる事は無さそうで愉しみ。
今作では如何にしてレクター博士が「怪物」になっていったのかを描くらしいけれど、そうなると原作版「ハンニバル」で初めて明かされたレクター博士の過去、つまり「食人嗜好」を生む契機となった「愛妹ミーシャの惨死」を出すのかどうかが気になる。あんまり殺人鬼に感情移入する作りにすると「怪物」が「俗物」っぽくなっちゃうけど、適度の悲劇はカリスマ性に繋がると思うし。
ラスト辺りで「レッド〜」に繋がる様にダラハイドや最初にグレアムに逮捕された事件なんか出て来るといい感じ。でもラウレンティスの事だから子供の頃のクラリスとかと遭遇、なんてのもやりかねないなー・・・。
ちなみに今回起用されたピーター・ウェーバー作品は未見だけど、イギリス出身だそうなので、湿った上品さを演出してくれる事を希望。
代表作「真珠〜」の映画紹介文や感想を見ると、「官能的な映像美」が魅力とあるので、レクター博士の品格や悪徳を表現する画作りには期待出来そう。今度のTSUTAYA半額週間で借りてみよっかなー。
自分はやっぱ映画はまず「画」でしょ、って人なので。
映画版「ハンニバル」もストーリーはともかくリドリー・スコットの映像は良かったし(原作読んでなければ好きだったかも)。そんな訳で「レッド・ドラゴン(リメイクの方)」のブレット・ラトナー(「ラッシュアワー」)は論外!
俳優は正式決定までは何とも云えず。単なる美形では困るけど「陰と狂気」が出せる若い子って難しいだろなー。どーでもいいけど「ウリエル(天使)」が名前の人って初めて聞いたかも。ミカエル=マイケルはうじゃうじゃいますがw
今んとこ脇役のリス・エヴァンスがちょっと嬉しいくらい(「ノッティング・ヒルの恋人」で結構好きになったので。映画はともかく)。
まぁ、何にせよとりあえずは原作待ち。翻訳ズレで来年春くらいかなー。あと「ビハインド・ザ・マスク」というタイトルに坂本龍一を想起してしまったんで、音楽は是非彼に。はい。
それにしても「チョーク」モードは腱鞘炎になりそうw やっぱ「水彩」がラクだ(Painterの話です)。
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投稿者 UT : 00:01
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2005年08月26日
ヒトラー 〜最期の12日間〜
ヒトラーの秘書だったトラウドゥル・ユンゲの懺悔を伴った回想録と、ジャーナリスト ヨアヒム・フェストの著書を元に構成した作品。監督は「es」のオリヴァー・ヒルシュビーゲル。
なお、映画の原題は「Der Untergang(破滅・崩壊)」なので、あくまでナチス崩壊の数週間を描いた淡白なつくり。その為、感動やヒトラーの人物像を深く掘り下げた内容を期待すると肩透かしを食うかも。
ヒトラー 〜最期の12日間〜 公式サイト
ちょっとした事なのだが、タバコの存在が印象的な映画だった。
ドイツの戦況が悪化する度にヒトラーの愛人エヴァ、ユンゲら女性は頻繁にタバコを吸う。それしか気を紛らわす手段が無いし、吸う事で僅かながら高揚し人生に前進出来るからだ。
逆に兵士の男達は一切吸わない。酒は飲むのに何故かタバコは決して吸わない。これはヒトラーが大の嫌煙家だった事実に即している。吸わない事がナチス軍人としての最後のプライドであるかの様に。
これは男女の差として非常に興味深く、如何に女性が「忠誠」や「権威」に興味が無いかを表していた様に思える。エヴァすら吸うのだから。
後半、それまで絶え間なく紫煙をくゆらせていたエヴァは自殺を覚悟した途端、ゲッベルス夫人マグダは愛児達を惨殺した直後から吸わなくなってしまう。ソビエトへの投降を諦めたユンゲの友人もそうだ。
もうタバコによる生きる意思の高揚など要らないのだな、と伝わってくるポイントだった。
「自殺」といえば、兵士達のそれは劇中数多くある。だがやはり殆どタバコを吸わない。
軍服をきっちり着込み、家族を巻き込んで死んで行く。ヒトラーへの忠誠、または呪縛から逃れられず、最後まで自分達の状況や罪を認めず、己の誇りを保ったまま命を絶つ愚かしさが哀しい。
その中で、総統亡き後、要塞に残った二人の兵士は頭を撃ち抜く直前に最後の一服をする。タバコを嫌ったヒトラーの要塞の床に投げ捨てた吸い殻が、ささやかな反逆と自由の意思を主張していた様に見えた。
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通常ナチス映画を作る場合、迫害を受けたユダヤ人悲劇を描くのが定番である。「戦場のピアニスト」「ライフ・イズ・ビューティフル」「シンドラーのリスト」など、枚挙に暇が無い。観客はその悲劇に触れ感動し、心を痛める。それが判り易い制作意図だろう。
今作は数多あるそれらと一線を画す筈だった。ヒトラーに最も近い立場にいた秘書が見たナチス崩壊までの数日間。ナチスの女性視点で、しかもドイツ映画。真新しさと話題性は申し分無い(実際映画は大ヒット)。
しかし今作は「中途半端」な作品になってしまっている。
ただそれは、既に一部から批判が出ている様に、ドイツ人が制作したから歴史を美化している、という事ではない。ナチス崩壊における絶望から酒浸りになり、乱交し、自堕落な余生を送る兵士達。ソビエト軍に制圧された前後に自殺し始める無責任さなどはきっちり描かれていて、寧ろ自虐的ともいえる。
そうではなく、今作では「映画のスタンス」が問題なのだ。「ドキュメントタッチの映画」ではなく、完全にドキュメントパートと映画パートに二分している不整合が目立ってしまった。
淡々と登場人物の感情描写や状況説明を抑え、ナチス崩壊への日常を進めていくかと思えば、やたら兵士や子供の死など、情緒のある音楽を背景に、意図的に感動を煽る創作エピソードがあったりして、演出意図や重視するポイントがまるで定まっていない。
ドキュメントならばNHKなどの番組の方が遥かに情報や説明が充実しているし、感動するには人間関係の積み重ねや機微の描写が希薄過ぎる。
振り子の様に行き来するこれらの所為で、どういう視点で映画を観ればいいのか混乱してしまった。これが非常に残念で勿体無い。
とりあえずこの手の映画やドキュメントでピアノの独奏や弦楽器を使うのはタブーにした方がいい(戦場のピアニストはしょうがないとして)。あと「子供の命が大人・老人の命より尊い」なんて思わせそうな、矛盾を自覚していないありふれた作劇も。
更に「女性視点」も余り活かされてはなかった気がする。当時の女性の屈辱的な立場を代弁する訳でもなく、せいぜいが冒頭のタバコによる男社会への皮肉くらい。まあ、当時ナチス秘書という恵まれた立場のユンゲにはそんな共感は無理だったのか、と意地悪く見えてしまう。
実際は、未読だが原作にはそんな描写もあるかもしれないし、彼女自身思い出したくない過去を記さなかった可能性もある。だがその所為でイマイチ彼女の「苦境」が伝わってこないのも確かだ。
とはいえ、完全にダメダメという訳ではなく、息を呑むシーンや演技はいくつか見受けられた。
例えば後半、ゲッベルス夫人マグダによる子供達の惨殺劇などは強烈な母性を覚えたシーンだ。
何故彼女が我が子らを殺す役目を負ったのかの心理描写は全くないが、父親(男)にとって子供は結局他人、女性にとっては自分の血肉を分けた分身なのだ、という俗説を思わせる恐るべき数分間だった。
その後、妻を慰める事も出来ない(ナチスでは有能な首相である筈の)ゲッベルスを前にトランプを並べ始め、「アンタにはトランプの相手くらいしか出来ないのよ」とでも無言で訴える様な描写が心に刺さる。
そして今作で最も重要な役を演じ、各国の映画賞を数多く受けたブルーノ・ガンツによるヒトラーの成り切り振りは見事だろう。パーキンソン病に冒された手の震えなどの演出が(そういう症状なのは判るけれど)時折鼻につくが、「かつて誰もが心酔した」と納得できるカリスマの残滓や、本来の小心者根性、そして純粋であるが故に愚かで脆い気性が十二分に伝わってきた。
エヴァを始め、ユンゲら女性に向ける労りや紳士的な描写を「美化」と取る向きもある様だが、ヒトラーの女性観に基づいた正確な描写といえるだろう。逆に云えば日頃優しい人間も何らかの局面で人を殺しかねないのだから。
そして何と云っても、ヒトラーをナチス党首に押し上げた「演説」能力もちゃんと表現し得ている。明らかに戦況が不利なのに、誰もこの小男に意見出来ないのは(彼が立ち去ってから陰口を云う始末)この異常な「説得力」と「声質」の所為なのだと納得出来る。
この思わず聞き込んでしまう声。プロパガンダの魔力を以て人心を鼓舞する力を持つ声。一種の言霊使いといってもいい。
彼がもし精神科のカウンセラーなら、患者に生きる勇気をどれだけ与えたかしれない。好きだった映画で声優やナレーションをしても良かったかもしれない。優れた才能も活かす場所を間違えた所為で悲劇を生む皮肉が哀しい。
あと本作には関係ないが、ガンツがアイラ・レヴィンのヒトラー・クローン計画を描いたSF「ブラジルから来た少年」にも出演している事に奇妙な符号というか、「縁」を感じてしまった。
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さて、本編に戻ると、先述した「真新しい」箇所として、今作ではハンガリーやポーランド、そして最も虐殺されたロマ族のユダヤ人大虐殺には殆ど触れないし、その描写も皆無である。これはドイツ人による美化ではなく、原作者のユンゲが虐殺の事実を「何も知らなかった」事を表している。
果たしてそれは本当だろうか。ヒトラーに最も近い秘書なのに何も知らないなど有り得るのか?
ここは意見が別れる点だが、自分は実際にそうだったかもしれないと考える。巨大な組織ほど「右手のやる事を左手は知らない」のが常だし、やや差別的な物云いだが、女性は国家の存亡より目の前の生活を心配するのではないか。先述のタバコで判る様に、彼女はナチズムに傾倒していたとは思えない。
この映画の冒頭と最後には、ユンゲ本人が当時の己の「無知」を悔いる述懐をするシーンがある。これを観て感動する人もいれば、多くのナチス関係者の様に「自己弁護」と「責任転嫁」に溢れた言い草だ、と思う向きもあるだろう。
彼女が手記を記したのは「良心の呵責」かもしれない。だが、いくら無力であったとしても他に手段が無かったにしても、その状況に甘えて日々を過ごし、最後までナチスに残った彼女には何の同情も湧かなかった。
とはいえ、老いてやっと「無知は罪」なのだと悟った(筈の)ユンゲを責めるのはお門違いだろうとも思う。
また、ナチスにとっても「虐殺」は政治的に不利だ、という以上の認識が無かった事も判る。当然戦争なのだから敵国人が「一人死のうが100万人死のうが」違いは無い(皮肉にもこの言い回しは「人の命の尊さ」を説く時にも使われてしまう)。
この映画を観た前後、NHKでアウシュビッツのドキュメンタリーをしていたが、虐殺を逃れ生き延びた老ユダヤ人が、列車の中で席を譲らなかったドイツ人を殺したよ、と薄い笑いを浮かべて語るシーンがあった。
その時彼ははっきりと、「我々の仲間が大勢殺されたんだ。ドイツ人一人殺して何が悪い?」と云った。
迫害された彼等は被害者だ。だがそれで生まれた心が「平和への想い」だけとは限らない。悪意が悪意を産む連鎖が戦争の真の恐ろしさである、と改めて恐怖と空しさを覚えた映画だった。
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それにしても、人は何故ヒトラーやナチスに惹かれるのだろう。
特に日本での興味は世界でも類を見ないそうだ。特にサブカルでの影響は顕著で、アニメ、コミックで登場する敵軍や国家の殆どがファシストである。勿論その方が主人公側からして「倒しても構わない」存在に見える、丁度いいモデルケースになっているからだろうが。ただそういった敵キャラに心酔するファン心理はどうだろう。アニメだから?そうは思えない。
殆どの日本人はファシストになりたいとは思っていないだろうが、「誰かに支配されたい」という依存思考があるのではないか、と感じる。それはたった60年前まで人間の神を崇拝していた歴史の影響が大きい筈だ。
大戦当時、日独が同盟国であった事もナチスへの禁忌感が少ない理由かもしれない。大塚英志が作品などでも挙げている様に、当時の日本はドイツに影響され「帝国」を名乗り、政策から軍服に至るまで模倣していたという(今作でもヒムラーのビジュアルは正に日本軍人のそれ)。また、ヒトラーの日本への興味も深かったと聞く。そういった目に見えない名残があるのだろうか。
興味深いのは、日本人はユダヤ人に対する興味や知識が殆ど無いという事実だ。原爆を落とされた自分達と迫害された彼等に共感する方が遥かに自然だと思えるのだがそうはなっていない。むしろ一緒にするな、自分達は戦争に負けてはいないのだ、という妙なプライドさえ感じる。
「一部」の日本人がヒトラーやナチスに惹かれるのは、アメリカに支配されているのではなく対等であると思い込み、なおかつ強い誰かに導いて欲しい、支配して欲しい、というプライドと願望の所為ではないだろうか。
下記の様なサイトやナチス専門ショップが普通に存在していたりする日本は、一体何を学んできたのだろうか。月並みだがそう思わずにはいられない。
ひょっとしたらこの映画は、ユンゲという女性の無知で無自覚な人生を通して、平和ボケした我々を皮肉る為に作られたのかもしれない。だとすると、やや評価は上がるのだけれど。
[感想参照サイト]
真木の柱に
日本発地球メディア"World Reader"
[日本人が作成したナチス関連サイト]
ヒトラー 独裁者の魅力
ナチス連盟 - ナチ時代のドイツ・・・
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投稿者 UT : 19:20
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2005年08月18日
スターウォーズとZガンダムとマトリックス監督の新作、について。
「スター・ウォーズ」を400回観た男の1人芝居が大人気
SWネタも、もう落ち着いたかなー、と思ってたら遂にセレブレーションネタが。結構有名なヒト。
「EP3」のDVDは全米で11/1に発売。
島津冴子、劇場版Zのフォウ役降板の真相を告白※現在閉鎖
ますます不信感が・・・。「Z1」が「良く出来たダイジェスト」以上に評価出来なかったので、また辛い。知らぬが花だったかも。
この騒ぎで案の定一部から誹謗中傷を浴びている新フォウの声はこちら(要WMP)かこちら(要QT)。現時点では疑惑を覆す程の「存在感と技量」は感じないけど、単なる旧ファンの欲目で終わって欲しいところ。やっぱ名作だから気持ちよく観たいし。ちなみに「猫の恩返し」が良かった池脇さんは心配してません。
ナタリー・ポートマンの新作「V for Vendetta」は「マトリックス」監督兄弟作品※予告篇視聴可。要Quicktime。
第2次世界大戦にドイツが勝利した架空の世界が舞台。ファシズムによって管理された暗黒のロンドンで、政府に対してレジスタンス活動を続ける戦士「V」の戦いを描くというもの。
SWカンヌ公開時のナタリー丸刈りの理由がコレ。予告を見る限りではヒットは難しそう。それにしてもナチスに心惹かれる輩は絶えない。後日「ヒトラー」鑑賞レヴューをアップ予定です。
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投稿者 UT : 19:35
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2005年08月10日
※要Flash。音声注意。
三谷幸喜氏の4年ぶりメガホンで超豪華キャストずらり(SANSPO)
みかんのかんづめさん(ブログ命名センスにちょっと感動した)から前記事にTBを頂いた事で公式サイト開設に今頃気付く。不覚。ちなみに「THE」の発音は「ジ」です。27時間テレビのサザエさんの時三谷さんがゆってました。
で、ホテル名は「アバンティ」だったのね。「有頂天」だったら場末の温泉っぽいなぁ〜、と思ってたんで安心。イタリア語で「どうぞお入り下さい/前進」という意味が「ベル・エキプ(良き友)」以来の良いセンス。何らかの悩みを抱えてホテルに迎えられた登場人物達は、映画が終わる頃には人生に新しい一歩を踏み出せるのだろう。これだけで観に行きたくなった。
ちなみに「有頂天」は英語では「エクスタシー」だったので思わず笑ってしまった。「アバンティ」「エクスタシー」と聞いてJR京都駅と吉本新喜劇が連想されたらアナタは立派な関西人。
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投稿者 UT : 11:29
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2005年08月09日
やっと「宇宙戦争」鑑賞。「戦争にもなりゃしねえ」と登場人物が云う台詞。正にそう。宇宙人との彼我戦力差は圧倒的。勝てる訳が無い。
ではなぜ戦争なのか。侵略ではないのか。つまりその疑問は我々のエゴ。人間が万物の霊長だと思い上がっているという証拠なのだ。
ラストまで観ると原題の「War of the worlds」は勿論、「宇宙戦争」という邦題は間違っていなかった事に納得する。
個人的にはとにかく「EP3」同様、「映画は映像で語るべき」という考えが満たされて満足な作品。
「宇宙戦争」超映画批評
プロアマ問わず、誰もが「自分で撮るならこうするね」という作品がひとつ、ふたつあるだろう(ちなみに自分なら「必殺」シリーズw)。今回スピルバーグは、幼い頃夢中になった映画を「恐怖、迫害、家族愛」という得意分野を盛り込んでリメイクした。
こういう動機の場合、原点は「自分の為」なのだから、場合によっては観客への訴求がおざなりになる。今作はところどころで「ハッ!そういや観客のこと忘れてた」と我に返る様な「客観と主観」の揺れ動きが面白かった。
リメイクの弱点はストーリーがある程度バレている事(原作もかなり有名)。無論、換骨奪胎する手もあるが、今回はストーリーを尊重し、ひたすら「映像のバージョンアップ」に目的を絞り込んでいる。
「プライベート・ライアン」でも見せたヤヌス・カミンスキーのドキュメンタリータッチがとにかく凄い。我々の生きる現実世界に起こり得る、と思わせるリアリティ。トライポッドのクローズアップを極力抑え、報道ヘリから写した様な俯瞰、ビルの谷間や建物の陰から覗くカット,等、とにかく客観的な目線、煽りでたたみかける。まるで9.11のビル崩壊から人々が逃げる様を捕らえたニュース映像の様に。
リアルといえば、全体を覆う閉塞感もそうだ。情報が錯綜し、何が正しいのかも判らない。個人が得られる情報なんてそんなもの、という厳しい現実。
特に前半部は淡々としたドキュメント演出が秀逸だった。
そのリアリティの中で、トライポッドの光線で破壊される人間の着衣が舞う奇妙で滑稽な描写が非現実的で怖い。
上記を含め、今作では色んな恐怖描写がある。あまりクローズアップされないが、スピルバーグの恐怖演出は映画界随一だろう。「ジョーズ」の脅威、「激突!」のサイコパス、などあらゆるバリエーションを得意にしている。娯楽作の「ジュラシック・パーク」ですら無茶苦茶怖い(白デブ研究者が殺されるシーンなんか特に)
後半、主人公達がトライポッドの触手から息を潜めるシーンはナチスから逃れるユダヤ人の様だし(実際スピルバーグはユダヤ人)。まるで集大成を観ている気分だった。
そして得意分野といえば勿論「家族愛」。今作の主人公 レイは妻に去られた典型的な自己中人間。大人にもなりきれない。つまり「父性」が無い。息子ロビーや娘レイチェルにも冷視されている。ここで観客はああ、彼はこの侵略を通して「父性」を獲得していくのだな、と予想する。
ただし、それは「アメリカの理想」的なものではない。「インデペンデンス・デイ」の様な戦闘機を駆って特攻する親父、というキャラこそが「アメリカの父」なのだが、レイはひたすら宇宙人との戦いを避け、逃げ続ける。
当然、「アメリカの」息子、若いロビーは気に喰わない。所々で軍隊に入ろうとしたり、フェリーで他人を助けようとしたりする。己の無力感を認めたくないし、父親にその姿をアピールして「アメリカの理想」になって貰いたいのだ。
自分としてはレイの行動は当然で、非常に自己分析や状況判断に長けた男だと思う。自分の能力を把握し、最善の道を選ぶ彼の行動に何の失望も感じない。
"勝つ"というなら生き延びてこそ勝利だ。「生き恥」なんて発想は矮小なエゴに過ぎない。
圧倒的な力を持つ宇宙人に戦いを挑むのは無謀、愚かである。何も美しくなどない。こういう思考が戦争を生む気がする。第二次世界大戦から何も学んでいない。多分これがスピルバーグの皮肉なのだろう。
ジョジョで云うなら「人間に挑むノミの行動は勇気といえるか?」である。
つまりロビーや後半レイをかくまうオグルビー達はノミだろう。そして洒落ではないが「ノミの心臓」である人間程好戦的にならざるを得ない恐怖も感じた。
そんな意味でレイとロビーの離別は幸運だったといえる。あのまま彼もオグルビーの元にいけば、二人は意気投合し、ロビーはオグルビーに父性を求めて無謀な戦いをしてしまっていただろう。オグルビーは既にベトナム戦争で狂気に追い込まれていった兵士と同じ状態に陥っていた。つまり銃を持つ彼に既に父性は無くなっているのだ。
かつて家族を愛していた優しい彼にはそれがあっただろうが、復讐は父性ではない。守るべきものの無い戦いに挑む精神は「父性」と呼ぶべきではない。
そして哀しい事ではあるが、レイは娘の為に脅威=狂気のオグルビーを殺してしまう。さっきまで協力していた筈の人間同士が殺し合う、戦争のリアリティをまざまざと見せつけられた気分だ。
アメリカの父性の象徴であるオグルビーを殺す、つまり「父殺し」をする事でレイは父性を得る、という批評も見たが、レイは既に前半で父性を会得していたと思うし、オグルビーの殺害は言葉を悪く云うと逃げから攻撃に転ずる為の「景気付け」「スイッチ」だと見ている。
宇宙人と人間、殺すのに躊躇するのはどちらか。無論後者だ。それを成し遂げてしまったら、もう禁忌は無い。むしろ殺人を犯した自分を正当化する理由を作らなければならなくなる。
レイが手榴弾を握り、ラストに軍人へ「シールドが無いから撃て!」と叫ぶのは、そうした罪悪感を昇華させる為に他ならない。
だから「父性」と「生存本能」を一緒くたにしてはならない。と同時に、誰もレイを責める事など出来ないとも思う。それが戦時下の現実である。
その通過儀礼を終えたレイがトライポッドに戦いを挑み内側から簡単に破壊するシーンは、SW「帝国の逆襲」のスノーウォーカーを想起させる。友人ルーカスへのオマージュなのかと思ってしまった。
まあ、トライポッドは戦闘兵器ではなく人間牧場を作る為のトラクターだから頑丈な訳はないんだけど。それにしてもでかい頭部と脚部だけ、というデザインは何故ここまで脅威を感じるのだろう。
日本のアニメでもビグザム、リガード、ウォドムと、連綿たる継承があるけど、最初にこのカタチを考え出したアメリカ人画家には敬意を覚える。
そして人間など歯牙にもかけなかった宇宙人が一夜にして滅びる皮肉な結末。エンドナレーションを聞き、観客は映画のタイトルの意味を悟る。これは地球そのものと異星人の戦争であり、人間は役立たずだったのだと。地球が生きる権利がある人間を助けた、と奢ってはいけない。多分ついでで偶々なのだ。
個人的には戦時中、日本で墜落したアメリカ爆撃機のパイロットの様に、群衆が宇宙人を叩き殺すシーンがあればまたリアルだと思ったが、流石に無理か。
結局、ピーナツバターアレルギーを持つレイチェルと宇宙人は同じである。前半で彼女が云った、手にトゲが刺さっても「放っとけば自然に出てくる」という台詞が、まさしく宇宙人を撃退した「自然淘汰」を暗示していた事が、皮肉というかブラックジョークというか。とにかく今作での人間の無力さ加減は徹底している。
放っといても火星人は死んだし。レイがいなくてもロビーは母の元にたどり着けた。勿論、あくまで結果だけ見ると、だが。
ところで散々いきり立っていたロビーが義勇兵になる訳でもなく、しれっと母の元にいたのに違和感を覚えた人も多いらしいが、若者が己の無力を悟って母性に逃げ戻る、というのは自然な流れだろう。
この時点では、観客はロビーとオグルビーの好戦的な行動が「脆さ」の裏返しである事を理解している。あのままだとロビーも常軌を逸し、誰かに殺されていたかもしれない。
ロビーはいい意味で無力感と挫折を味わった事で、妹を守りきったレイの「父性」を認めた筈だ。図らずもトライポッドを倒した事も「アメリカの男」としては重要だろう。
そして次に宇宙人が細菌を克服したら、人類は勝てるのか?という50年代映画の様な不安を残しつつ物語は終わる。この引きは原作への見事なオマージュだろう。カタルシスは皆無だったが、ドキュメントとしては申し分の無い映画だった。
最後に俳優について。
絶妙でギリギリうっとうしい絶叫少女を演じたダコタ・ファニングが絶賛されているが、トムの評判が良く無い模様。ローレン・バコールがわざわざ文句云うくらい。ちょっと心外である。
巷では労働者階級に見えない!と非難を浴びるトム。確かに見えない。ドラマ「エンジン」で冷静に「私」なんて云ってた泉谷しげるに違和感を覚えた様にw
でもそれは決して演技が下手な訳ではない。
実際彼は上手い俳優である。以前、原作者に絶対嫌だと拒否され乍ら、上映後絶賛された「インタヴュー・ウィズ・バンパイア」や「マグノリア」のSEX教祖などの演技は感嘆する。
ただしこれらはレベルは違えど実は「品のある」役である。彼が持つ、役者に必要なもうひとつの重要な要素「スター性」が大いに貢献しているのだ。つまりそれが今回は労働者の演技に干渉してしまった。
では彼を二流役者だと思うか、となるとそうは思わない。これは技術でどうこうなるものではないだろう。
演技は技術や精進でレベルアップ出来るが、「スター性」は努力では手に入らない。天性だ。それが邪魔をしたとあってははジレンマだが。
俳優にはトムの様なスタータイプとデ・ニーロやエドワード・ノートンの様なカメレオンタイプの両方が必要な訳で、そんな意味で彼は貴重な存在である事は間違いない。
やっぱナイスガイ過ぎたんだろうな。今回は製作側のキャスティングミスと見る。そんな意味で彼の天性を最も上手く活かしたのはキューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」の可哀想なお坊ちゃん役だったと思う。
別にトムファンではないんですけどねw
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投稿者 UT : 00:36
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2005年08月05日
「アフロサムライ」実写版、日米共同制作へ=主役にS・L・ジャクソン(yahoo!ニュース)
絶対キャスティング理由は「アンブレイカブル」のミスターグラスのはず。
公式サイト※Flash多用で激重
ゴンゾ・プレスリリース
ノウノウハウ・メンバー
あ、「パルプフィクション」もそーか。何にせよ黒人が一番似合う髪形だな。
原作の岡崎能士ってスペトラの人か・・・。石井克人好みな画風。
実写と平行してアニメ化、すでにフィギュアまで用意してるとこがメディアミックスの王道。
ただこの手は「キル・ビル」くらいで極まった感もあり、いささか出遅れ感もあるような。狙いすぎてスペトラみたく小さなムーブメントで終わらなきゃいいけど。
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投稿者 UT : 10:06
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2005年08月03日
ライトセーバー、2250万円で落札 (Sankei Web)
やったねゲイリー!
ヨーダは英語が苦手??(エンタメSCOOP)
先週の「SHOWBIZ COUNTDOWN」でも云ってた。異星人らしさの演出なんじゃないの?方言とゆーか。ジャージャーの悪例よりマシだと思うけども。日本語の「倒置法」とはまた違うのかな。
武闘派C3PO (おもトピ)
恐怖のレイア姫が「光る目」みたい。SW風Zガンダムのジャケットも懐かしい。確か「~交響曲」とかいうCDだった。劇場版Zのサントラは出さない気なのか・・・?
投稿者 UT : 11:53
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2005年08月01日
オバノンって名字の半分は叔母 小母 伯母 | [嗜好の映画] |
「スペース・バンパイア」。20年前、菊地秀行の「吸血鬼ハンター"D"」と共に「吸血鬼」に惹かれる契機になった作品(本家でないところが・・・w)
人間の精を喰らう宇宙人より、「その恐怖に欲情する」と云わんばかりに誘惑へ抗えない人間描写が恐ろしい。まさに「エロスとタナトス」。
お友達に5秒で解説しろ、と云われたら「エイリアンなドラキュラが人類をゾンビ化するロミオとジュリエット」と答えて下さい。
故・淀川長治の映画解説 ※貴重ですが、とっても下世話w
原作:「精神寄生体」のコリン・ウィルソン、監督:「悪魔のいけにえ」のトビー・フーパー、脚本:「エイリアン」のダン・オバノン、といわゆる「B級」好きなら堪らないラインナップ。ただし、このスタッフで作った(てっきり続編と思ってた)「スペース・インベーダー」はダメダメ。
以上の様に、スタッフがある意味大物なのも今作の特徴だが、音楽がヘンリー・マンシーニだったのか〜、と改めてテロップで驚く。らしくない、というか「ロード・オブ・ザ・リング」の音楽が「恐怖」しかイメージになかったハワード・ショアみたいなギャップw まあショアは「アナライズ・ミー」なんかで軽快なジャズを披露する芸達者な人なんですが。
あと、SWファンなら特殊効果のジョン・ダイクストラに反応すべきだろう。当然CGが無いから様々な創意工夫を凝らしている訳だが、宇宙船のデザイン、内部描写、宙を舞う魂魄の光、など見応えは今でも十分。クリーチャー等も、逆に合成で無いからこその生々しいリアリティが「恐怖」演出に役立っている。
お互いの顔を寄せ合って精気を吸うシーンは色んな映画や漫画に影響を与えてたなぁ、と感慨深くなる。
個人的にはヘリの中で死体の顔面から血が噴き出し、吸精鬼の顔になる、というシーンが最も好き。
原題は「LifeForce(生命力)」。地味。確かに吸精鬼や、彼らの被害者がエナジーを求めて渇望するコンセプトにはぴったりではあるが・・・。やっぱ地味。
なので原作の「宇宙ヴァンパイアー」通り「スペース・バンパイア」で正解でしょう。B級臭がプンプンするぜ。
なお、自分はあまり明るくないが、今作はいわゆる「クトゥルー神話」もの。コリン作品にはいくつかシリーズがあり、「精神寄生体」にも今回マチルダ・メイが演じた吸精鬼と同じ「ウボ・サスラ」という存在が共通で登場する。
冒頭の「D」の作者、菊地秀行も大のクトゥルー狂。彼が原作だと云っても納得できてしまう程のケレンとエロスと伝奇に満ち満ちている。
舞台がアメリカじゃなく、ロンドンってのが「ドラキュラ」への敬意。英国映画の陰鬱さと、ブラックユーモアがハマっている。(犠牲になった首相が秘書を呼んで・・・とか)
SASの大佐が乗り出すのも「ヘルシング」的でいい。何かイギリス人てドライでシニカルだから、淡々とした対応がリアルに感じられる。
これがアメリカなら若者が襲われてキャーキャー云って、妙なジョークと共にゾンビ倒して、とか一気にドライブムービーになっただろう。その手もキライじゃないけど。
あと歴史の浅いアメリカでは何百年も前から彼らは来ていた、という説得力に欠けるしね。やっぱ化け物はイギリスによく似合う。
大体の感想で必ず出てくる「マチルダ・メイの肢体」は当然幼少時はそれだけで禁忌な気まずさがあったが、今観ると意外に品があり、中国系フランス人らしいビジュアル、例えば黒髪(ブルネット?)等が異国感=異星人らしさの説得力になり、恐怖を増大させる効果に役立っている。これが金髪だと何故か神秘感が出ない(実際途中で憑依した金髪女性のシーンは安物のポルノの様)
今作と似たコンセプトの「スピーシーズ」の失敗はキャスティング・ミスでしょう。アメリカ製作の所為もあるのかもだが。
また今回は興業上?彼女に男達が惹かれる展開だが、「死と性への欲望」を描くなら、他の男性体が女性を陥落する、あるいはホモセクシュアルな描写も入れるべきだった。その代わり、「スタートレック」のピカード船長ことパトリック・スチュアートの妙なセクシーさが際立ってますが(シェイクスピア俳優って凄い)。
吸精鬼に見初められ、エナジーの一部を与えられる事で、計らずも彼らと人間の中間の存在になったカールセン。このダンピール加減もよい。
彼の告白シーンで、改めて「エイリアン」を思い出した。宇宙空間で独りぼっち、というシチュエーションは昔から恐怖のひとつ。地球上の海で遭難とは全然違う。母なる自然の中で淘汰されるならまだしも、無機質な虚空でエイリアンと同居、なんて耐えられない。
この告白で最も興味深いのは、「恐ろしいと判っていながら、彼女と別れるのが辛かった」という下り。最早愛情とかいうレベルではなく、「臨死への欲情」が止められない、どうしようもない狂気が伝わってくる。
登場人物のファラード博士は「死学」の権威らしいので、ここの分析などもっとして欲しかった(多分原作ではしている)。
クライマックスはロメロの「ゾンビ」に倣う様に、市民一人一人をクローズアップしない、ドキュメントタッチなパニックのリアリティが怖い。ゾンビの何が怖いって、元々普通の人間だってところ。昨日まで仲良かった友人が・・・ていう絶望感が堪らない。
結局、誘惑に抗えなかったカールセンと吸精鬼が、たっぷりロンドン市民の精気を吸収した母船と去って行く呆気無さはやっぱB級の面白さ。「何しに来たんだ・・・?」「ちょっと補給〜」みたいな荒唐無稽を存分に堪能できた。
今回の放送は多分すっごい昔のものだと思うので、DVD欲しくなったな〜。
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投稿者 UT : 20:58
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2005年07月31日
昨日から宣伝ラッシュの「ロボッツ」を鑑賞。友人には珍しいな~、と云われたけども。それが人間さ(?)
続編が公開予定の「アイス・エイジ」を制作し、「Bunny」でアカデミー賞を受賞したブルースカイスタジオの作品。
「ロボッツ」超映画批評
「EP3」での上映前予告を観てちょっと「おっ」と思う処があったので鑑賞(後述)。
登場するのは夢見る下層階級の青年ロドニー。かつての夢への情熱を息子に託す父親。失脚した傑物老人ビッグフェルド。強欲な母親に支配されるマザコンワンマン社長ラチェット。気のいい下町の住人達。
これらのキャラクター同様、物語自体も非常に非常にオーソドックス。
ロボット達のリサイクル用部品を排除し、新しいボディのみを売りつけようとするワンマン社長への反乱、勝利、という「革命もの」。ベルばらの様な悲劇性は皆無ですが。
感情豊かなロボット描写が見事な今作。こーゆー人間設定の置換はネコで有名なアニメ版「銀河鉄道の夜」を思い出す。単に置き換えただけでは「だから?」ってなっちゃうので、それなりの意図が必要になる。
今回、ロボット設定にした効果は、やはり「流血」「死」といった生臭さの排除につきるだろう。勿論チェイスシーンや飛行、などロボットならでは、の意図も感じられたが新味は無かった。
まあほんとに「人間」でやってたら全くヒットしなかったのでは?というオーソドックスな話なので「ロボット化」こそがメインテーマといえるだろう。つまりそれさえ達成できればOKという感じになってしまってるのが何とも残念。
デザインでは、キャラや街の風景はアメリカ50年代の様な設定。これならミュージカルものに仕立てても良かったかもしれないがディズニーへの対抗心からその手は封じたのだろうか。下層階級者のリアリティを出す為だけの設定だとしたら勿体無い。
全体的な構成やテンポも良く、ギャグ(ロボットなのにロボットダンスとか)の入れ方も絶妙だったのだが、ひとつ大きな致命的シーンが。
それは予告の段階でも不安だった「戦争」描写。主人公ロドニーがトキの声を上げ総力戦に突入するシーンが何かアナクロというか・・・。大味な感じ。
同じCGアニメでも「バグズ・ライフ」ではそう感じなかったんだけど。まあ、アレは「悪党を倒す為の助っ人」達の話なので設定も違いますが。
しかもそれならそれでの「勝利のカタルシス」も薄い。多分これはスタジオ(20世紀フォックス)側の意向だったのでは、と邪推。少なくとも冒頭の移動手段のシーンや親子の別れ、エンディングのダンス、などの方がイキイキと魅力的に見える。単にこの監督は戦闘シーンが苦手なのかもだが。
あと、何かを得る為に他者を排除する、というクーデターを「発明家の夢を叶える」主人公にやらせる、というのが違和感あったのかも。
そしてその「発明」という才能が単に修理上手、というレベルにしか見えず、意味が薄くなってしまった。
革命ものだから、または無邪気な子供向けだから仕様がないのかもしれないが、戦争以外の手段での革命はなかったのだろうか。
「大逆転」や「未来は今」の様に(特に後者)、武力ではなく仲間達と起業し、数々の発明でラチェットの会社を乗っ取る、というM&Aものでも十分愉しめたと思う。日本でもライブドアで馴染んできたところもあった訳だし。
前半までが丁寧だっただけに、大味な戦闘に終わったのが何とも勿体無い作品だった。
で、今回観に行った理由ですが、それは「日本版の声優」目当て。
タレントを声優に起用する事は宣伝用に過ぎない、とか批判もあるけれど、場合によってはプロの方とは違う味わいや良さが出て「掘り出し物」的な効果(今回なら西田敏行)もあるので、自分は否定も肯定もしない、というスタンス。
ジブリアニメが最も顕著にこの方法を取っているけど、あれだってやっぱり「50/50」だしねぇ。妖美な声は美輪さんしか無理だなー、でも、きむ・・・いやゲフッゲフン!
今作のプロ声優さんではもう定番過ぎる山寺宏一は勿論、特にロドニーの父親役の古川登志夫さん(うる星やつら、パトレイバー等)が流石だった。息子を暖かく見守る父性愛溢れる声。
「EP3」上映前の今作予告で「夢を諦めてしまえば、その夢は一生お前を苦しめる」という台詞でちょっと泣きそうになったし。彼の声だけでも本家を超えているのではないだろうか。
最近の声優ブーム批判しちゃおうかってなくらいの貫禄を味わうだけも観る価値があった。
でも、あ~、つくづく勿体無いw
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投稿者 UT : 00:12
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2005年07月28日
ミッシングリンクが補完され、いよいよスターウォーズサーガが完成する。ギリシャ神話やシェイクスピアに敬意を払ったルーカスの真骨頂。
悲劇に酔い、新たなる希望に落涙。以下、ダラダラと長文w
アナキンが最も不幸なのは「対等な友人」に恵まれなかったことだろう。オビ・ワンとは「家族」化してしまったのが裏目に出た気がする。兄弟同様だからこそ反抗心や独立心が生まれてしまった。
ルークは皆と力を合わせ、「対等」に触れ合ってきたが、彼にはそんな存在が無かった。「評議会」「議員」「師匠」。もしもソロみたいな掟に縛られない自由人が近くにいれば・・・。
レイトショー1200円で鑑賞。都合三回で梅田ブルク7のお得意様状態。いまだ感動が衰えない。
最高傑作なのは当然。内容は勿論、この20数年の年月と各エピソードの積み重ねがモノを云っている。今作だけ観る、という行為は全く意味が無いというか愉しめるのかどうか。
冒頭から宇宙戦。「EP4」「EP6」に引けを取らない迫力。意地悪く云えば「USJ」のアトラクション的な。
このシーンは完全に劇場の為のもの。画面の奥行きが素晴らしく、観客席から宇宙空間に落っこちていきそうな錯覚を覚えた。
戦闘シーンだけでも情報量が多く、破壊された戦闘機から飛び散る死体など細か過ぎるくらい。
アナキン、オビ・ワンの乗るスターファイターも「EP1」の流線型なナブー製と比べると「直線化」してきており、製作側の「デザインによって時代の変遷を表現する」という意図が明確に感じられた。更に最初は気付かなかったが、バズ・ドロイドに襲われた際、両翼が展開した姿はまさに「タイ・ファイター」!皮肉だ。Xウイングらしきファイターもあったし。
オビ・ワンの相棒ドロイド「R4」はあえなく破壊されるが、R2-D2の無敵ぶりはここから始まっていく。ファイターからスポッて自由に着脱出来たり、噴出したオイルに点火してドロイドを火ダルマにしたり、この頃は「飛べる」機能がモノを云っていた模様。オルデラーンでは単なる作業ドロイド扱いだったからこの機能は外されたみたい。
ドゥークゥー伯爵に捕らえられた(体の)パルパティン。拘束されてる椅子の形や宇宙の見える広間が既に皇帝なんですけど。アナキンとドゥークゥーを戦わせ、腕を切断された伯爵を「殺せ」と命じるシーン。当然「EP6」のルークとヴェイダーとそっくり。毎回この方法で弟子の交換をしてきたとみえる。
だからルークに断られた時にあんなにブチ切れたのね。今までスムーズだったから。
グリーヴァス艦が大気圏突入する際は、SWで初めてガンダムみたいな「摩擦熱」描写があったと気付く。未だに不思議なんだけど、登場人物がよくファイター単体で惑星に入れるなぁ、と。耐熱処理が凄いのか。さらに何で「レーダー」に引っ掛からないんだろう。侵入し放題なんですが。・・・まいっかw
あと新三部作ではCG批判が多いが、不時着した艦艇のコクピットにカメラが迫って上手くフレームに収まり停止、というのはちゃんと演出と技術がまとまった、いいシーンだと思う。
とりあえず今作は大河ドラマの様に、観客が「アナキンの転落」「ジェダイの滅亡」を知っている。そこを際立たせる為の「交流の伏線」描写の積み重ねが的確だった。
パドメとの愛、妊娠の喜び、オビ・ワンとの友情、師弟愛といったプラス面と、逆に嫉妬、評議会への失望、パドメの死への不安、のマイナス面。このバランスがちょうどいい。
とりあえずアナキンの性格をもっと把握すべきだったね、マスター達。彼は褒められて伸びるタイプだったのに。
分離派討伐直前、生き方を迷いながらも今までの非礼を詫びるアナキンに顔をほころばせ励ますオビ・ワン。それが最後の友としての会話だった。ここでまずウルッときた。どうも自分はフツーのシーンで妄想して泣くタイプ。
遺伝子提供者のジャンゴ・フェットそっくり顔のクローンコマンダー・コーディも上手い配置。オビ・ワンとの信頼関係を匂わせ、落としたセイバーを拾って渡してあげる、こんな描写があった直後、彼は皇帝の出す指令「オーダー66」によって簡単にオビ・ワンを撃ち、他の兵もジェダイを虐殺する。この切り替えぶりに感情の無いクローンの恐ろしさを改めて知る。ジェダイマスター達も、人となりを知るエピソードがあればもう少し殺害の喪失感が高まったかもしれないが、流石に隙間が無かった模様。
その直前のオビ・ワン×グリーバス戦は逆に爽快でニンマリした。しぶとく生き残ってるヌート・ガンレイ達を見付け、何案じてるのかと思ったら単身で飛び込むオビ・ワン。正直唖然とした。な、何やってんのー!
ただ即座にそういやこの人も昔はやんちゃだったなーと想起。マスターになってるから立場上それらしく見せてるが、元は無茶する人だったっけ。イキイキ具合が笑える程戦う戦う。彼のセイバーの構えは何か「宝蔵院流の槍」みたいだなーとか思いつつ。こーゆーハジケっぷりをもっとアナキンに見せてれば・・・。
グリーヴァスは「クローン大戦」でメイスに肺をやられた為ゴホゴホいってるらしいが、見せ場らしい見せ場もなく丸見えの内臓を焼かれる。そんな弱点剥き出しにしちゃダメでしょうに・・・。ちなみにあの咳はルーカスが病んだ時のものをサンプリングしたそうな。
ジェダイ崩壊の日。夕陽を浴びながらジェダイ聖堂とコンドミニアムを見つめ、お互いの身を案じるアナキンとパドメがいい。美しい夕焼けは不穏さを高める。「グラディエイター」でも効果的だった。
正体がばれ、メイスに追いつめられた様に見えるパルパティン。突きつけられるパープルのセイバー。この珍しい色はジェダイ唯一なんだそう。セイバーはジェダイが自分で作る、というのが「EP6」でも明らかになったけど、まあ武器を自分でチューンするのは定番ですね。
ともかく、弱々しく助けを請うパルパティンに揺れるアナキン。「EP6」でもルークの叫びに揺れたのはこの光景とダブったからだろう。ただここでは選択を誤った。まさにシェイクスピア。誤解の雪崩落とし。
そして「ここで」ヴェイダー誕生。パルパティンの演技に騙されメイスを斬ってしまった瞬間、アナキンの未来が消えた決定的な瞬間に息を呑む。サイボーグ化する事がヴェイダー誕生ではなく、このほんの数秒で彼は堕ちざるを得なくなった。もうジェダイには戻れない。すがるのはパドメを死から救う目の前の暗黒卿のみ(あの悪夢はパルパティンが見せていたものだったかもしれないが)。
この展開で、他エントリーでも書いてるけど、いつ皇帝と不仲になったのか、という疑問も解消された。
アナキンはジェダイの時は皇帝を信頼していた。だが一度はシスと判明したパルパティンを殺そうとまでしている。つまりヴェイダー化してからは尊敬ではなく「敗北感」「降伏」「服従」で、かしずいていたと。
だからルークに「皇帝を倒そう」と云ったんだなーと納得。ずっと我慢というか諦めの飼い殺し状態になっていたのが哀れみを覚える。ルーカスがインタヴューで話していた様に「帝国最強のパシリ」だもんね。
事態はもうヨーダにすら止められず、溶岩の星・ムスタファへと舞台を移す。
特にアナキンとパドメの最後の邂逅。会話は彼女と交わしながら、その眼は背後を見つめている。観客は判っている。誰を見ているのかを。
振り返るパドメに併せて切り替わる画面。佇むオビ・ワン・ケノービ。 完璧。
このシーン初め、今作は全体の画作りが良かった。やはり映画は「画」と「音」の芸術なのだから。台詞の代わりに映像が雄弁になるべきだ。
そして決戦。技量は完全にアナキンが上、ただ彼は善悪に迷う混沌とした状態。それをオビ・ワンの経験と真摯さが上回った。だが止めは刺さない。ある意味アナキン並みにジェダイに忠誠を誓う頑固なオビ・ワンは焼死という罰をかつての友、弟に与える。「I Loved You(愛してた)」が辛い。
悲劇は終わり、アナキンとパドメは共にこの世に存在しなくなる。パドメの遺体の胸にあるかつて少年アナキンから貰ったペンダントや、ヴェイダーサイボーグ化で視界が肉眼のものから、赤い電子アイに変わる、という演出がまたいい。
皇帝にまた騙され、叫ぶヴェイダー。愛する人を失い、父とも慕っていた人に去られ、敵わない力を持つ男にすがるしか生きていけない。彼のその後はただズルズルと生かされていくだけだった。
この後は最後の帳尻合わせ。「EP4」に繋がる様、綺麗に構成していく。
ずっと疑問に思っていたジェダイの霊体化は、何と「クワイ・ガン・ジン」が編み出した(発見した?)永劫の命を得る秘術らしいことも判明。
でもクワイ・ガンは何で「EP6」の最後に皆と居ないの?とか(まあ新三部作の前に居られても、誰?ってなっちゃうけど)、逆にヴェイダーはいつ霊体化を学んだの?皇帝が教えたんだったら奴も生き延びてるんじゃ?などまだ疑問は残る。
他にも生まれた双子達に「ルーク」「レイア」と即座に呼ぶパドメに「いつ名前考えたんだろ」とかも感動しながら邪推。即興ではないだろうし、まあ二人分考えたんだろうけど。男の双子ならどうしたのか・・・。
ま、その辺は次の「六部作」ボックスDVDでの辻褄合わせに期待。
エピローグ。美しい星オルデラーンで妻とレイアを優しく抱くベイル・オーガナ。今回は男っぷりのいい見せ場が増えて良かったね。彼の乗っていた宇宙船の形が、「EP4」の冒頭を思い出させ、顔を見せることなくデススターに破壊されるんだよなぁ、と哀しくなった。
そして・・・タトゥイーンのラーズ夫妻にオビ・ワンから預けられるルーク。ベルーが彼を抱えて向かった場所。それは「二つの夕陽」の輝きが見える場所。そう、「EP4」でのルークが眺めていた光景。そこで後のルークとまったく同じ姿勢で待っているオーウェン。涙腺が緩み始める。ルークはその姿を見て育ったのだろう。
夫婦は赤子を抱き共に夕陽を見つめる。後に自分達が惨殺されるとも知らず、幸せなオレンジの光に包まれて。
ここまで高まっていた感情は、そこに流れる「ルークのテーマ」によって堰が切れた。エンドロール中ひたすら落涙。書いててもウルウルきているw
ここまで完璧なラストシーンはそうないだろう。まさに「新たなる希望」への繋ぎとして申し分ない。
そんな訳で、また今後も何度となく観に行くのだ。泣くのだ。
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投稿者 UT : 00:30
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スターウォーズのキャスト・スタッフで一番多い名前は? (オヤジライター、かく語りき。)
SW関連で検索してると、通常の感想とはまた違うおもしろい観点での記事が。ファーストネーム、というのが改めて日本には無い感覚。
個人的に好きな監督の場合、フィンチャー、リンチ、クローネンバーグ。みんな「デイヴィッド」。うーむ。
別に滝本誠さんの真似をしてる訳ではございません。(無論プロレスラーでは無い方)この三人には共通する闇があり、それに惹かれるのは必然なのですw
あ、滝本さんはNine inch nailsもお好きの様。
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投稿者 UT : 00:15
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2005年07月24日
だーすべいだーのにっき
エピソード3を観てからもよし。観る前でもよし。観た後の方が何とも味わい深い。
投稿者 UT : 18:46
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2005年07月22日
D・リンチ監督がカルト教団立ち上げ?
何やってんだオマエェェェェっ!理由はともかく新作を撮れェェェェっ!!
・・・とかいってドキュメント作品だったら笑えるしあり得る。
投稿者 UT : 12:21
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2005年07月19日
リアリティ獲得、つまり観る者に物語を納得させる手段には二種ある。
ゼロから世界観を構築し、その中に読者や観客を引きずりこみ、敢えて説明を省く事で半ば強引にルールへ従わせる納得。
そして我々が普段生きている「現実世界」の範疇に摺り合わせる事で、安心感をもたらす納得。
バートンは前者、ノーランは後者を徹底的に追及した。まるで「PLUTO」の様に。
バットマン・エピソード1~3といった趣向。最近こういう前日譚が流行っているのか。
個人的な最高傑作「~リターンズ」に勝るかどうか、と期待して鑑賞。どうでもいいですが、渡辺謙の台詞は「日本語の逆回転」。第一声は「何を求めている?」と云っているそう(ちちんぷいぷいで紹介してた)。
冒頭から30分は欧米人の東洋趣味というか、「何故恐れる」といった禅問答、または哲学追求にひた走る。とても地味。
ただそれはあくまでバートン作と比べての感想で、実際はかつてなく丁寧にブルース・ウェインが何故コウモリ男のコスをしなければならなかったか、を「現実的」に突き詰めていく。
とにかく前半はアメコミの「暗黙の了解」を、悪く云えば見事なこじつけで説明していくのが圧巻。「何故強いのか」「誰が兵器を作っているのか」「資金はどこからか」等を、この一本で完全にフォローしきったと云ってもいい。
でも、それをする必然性があったか、というと疑問なんだけど。単にノーランが納得したかっただけなのかもしれないが、鑑賞中はそう思えない説得力に支配されていた。
特にブルースがトラウマに至る過程はかなりリアル。少年が自分の判断の所為で両親を失う、己の無力を責める、という描写は深夜のドキュメンタリーのようだ。これまでは裕福なだけ、といった感の両親も、特に父親の溢れんばかりの「父性愛」が余計に喪失感を際立たせている。
この父親は完璧だ。ゴッサム・シティを少しでも良くしようと尽力し、井戸に落ちた息子を助け、家族を庇って撃たれ、死に臨んでも息子を「大丈夫だ」と励ます。
個人的にこの直前、コウモリ恐怖症になったブルースが劇場を出たい、とせがんだ時、叱りもなだめもせず即座に席を立ち、母親にも「気分が悪くなったんだ」と云い息子のプライドを守る気配りにホロっときた。だってこの後殺されるから・・・。
「コウモリ」への執着は、「己が最も恐れるもの」を象徴とし、毒(恐怖)を以って毒(犯罪者)を制すことで昇華していく「トラウマの克服」だった、という事が否応無く「納得」させられるこの展開は、昔受けた心理学の講義の様で深く頷いてしまった。これまでのシリーズでも語られてきたけど、ここまで「心療的」なアプローチは無かった様に思える。
ノーランは「メメント」「インソムニア」同様、心理分析的というか「理論」で詰めていきたい人なんですね。
個人的には善悪の葛藤を描いた傑作と思っている前作「インソムニア」の様に、終始地味に行くのかなー、あれの後半の蛇足銃撃戦みたいにアクションイマイチかなー、と思ってたら、段々ヒートアップしていく。まあ正直、照明が得意のノワール当てになってるので、心理描写には効果的でも、アクションは観辛い気がした。この辺課題なのかも。
そしてバットマンで一番肝心、といわれる悪役も、今回は地味。ブルース以外目立たせるものかといわんばかりに「普通」なキャラを配置する。リーアム・ニーソンは「EP1」以来のアクションが格好いいけどやっぱり地味。
これは徹底していて、スケアクロウのバラ撒く毒薬の幻覚で初めて特殊メイクやCGを用いる程。
その中で後半ただの捨て駒だったDr.クレイン役のキリアン・マーフィ(「28日後・・・」「コールドマウンテン」)は「やせこけた案山子(スケアクロウ)」にぴったりなサイコ医師で、ちょっと注目したくなった。日本なら柏原崇がいいかも。
とにかく、今回の主役は「バットマン」なんだってば!という感じ。
終わってみると、全体的に暗い映画になるのかと思いきや、ブルースが普段はスケベなダメ成金である、という描写や父親代わりの執事や万能な開発屋との軽妙な会話には何度も笑った。
執事アルフレッド役のマイケル・ケインは前回までのマイケル・ガフが大好きだった(執事のお手本!)んで、ゴツ過ぎじゃない?と不安だったけれど、流石の演技で感服。
そんな訳で、日本でコミック化するなら、ひたすら心理描写と現実リアリティ獲得に走る「PLUTO」の浦沢直樹に頼むべきだと思う。バトルほぼ無しでしょうが。
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投稿者 UT : 01:05
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2005年07月14日

yahooサーバー落ち過ぎ。他の機能にも影響与えたらしいけど、「姑獲鳥~」が凄い反響なのか、単に配信状態の予測が甘かったのか。
とりあえず観れました・・・が。以下、不機嫌で陰鬱な太宰治みたいな顔で打ってます。
映画予告編
京極夏彦オフィシャル(太極宮)
正直・・・まずい。このままでは行かないかも・・・。動員削減作戦?
本当に実相時監督?と眼を疑った6分40秒。
作りもの感たっぷりの目眩坂。「必死に勉強して喋っている」説得力に欠けた長台詞と、それと全く連動しないカメラワークと編集。(堤さんが浮かばれない)
まどろむ関口のシーンより、この「脳の解釈」を補助する細かいインサートカットをすべきだったのでは・・・。
そして何より全体を覆う、申し訳ないけれども「古臭く」「大仰」な音楽による不調和。
自分にとって音楽とは「映画」の最も大事な要素。完璧な脚本、演出、演技があったとしても音楽が全てを簡単にぶち壊せてしまう、という定義。
逆に云うと、乱暴だけれど多少内容が悪くとも、音楽がそれを救ってくれる、相乗効果を出すことも出来る、でもその逆は出来ない、とまで云い切ってしまえる。
古い映画、ドラマでは画の古さは許容できるのに、音楽はそうもいかない。流行が出やすく、鮮度が短い。コンピュータを使ったものは特に(例えば「トレインスポッティング」はもうヤバいと思う)
だから何故映画ではオーケストラが多いのか、はその普遍性にあるのだろう。
「姑獲鳥~」は戦後すぐの設定だから、音楽も古くしたつもり・・・なのかなぁ・・・。
映画は五感の内、「眼と耳」を使うもの。でも、どうも日本映画は耳をおろそかにしている気がしてならない。
それは曲じゃなくても、音響効果マンのギャラや環境が欧米に比べ劣悪だ、というとても判り易い例でも顕著。(別にTHXとかドルビーがどうのこうの、ではなく)
「音」が疎かなだけで「映画は死ぬ」。・・・ワガママな持論ですけれど。
兎に角。これでいける、と思えた制作陣ほど不思議なものはない。
「姑獲鳥の夏」前記事
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投稿者 UT : 16:31
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「ジェダイの帰還」 エピソード遂に完結・・・のはず。
元々「仮タイトル」だった「ジェダイの復讐」が旧三部作のDVDボックスが出るまで通っていた、と云うのは、最後までXウイングで生き残るルークの戦友ウェッジ役の人がユアン・マクレガーの叔父、という位、結構有名な話。
ファンの中では今作は旧三部作で一番評判が悪い。
その原因は緑の惑星エンドアの小熊型(?)住民・イウォーク達のせい。ただ自分は実際子供の頃今作を観たクチなので「子供っぽい」とも感じなかったし、むしろルークがダークサイドに堕ちるか否か、の不安感との対比になって良かったのでは、と今でもマイナスには感じない。まあ今の自分が「EP1」のグンガン人に感じた違和感みたいなものなのかな・・・。
でも例えばレイアがイウォークと触れ合うシーンでは、彼女の皇女としての「博愛精神」が出ていて、銀河を救う、というモチベーションに説得力が加わるものだった。
演じるキャリー・フィッシャーもそんな非難するほど不美人に思えないし、自分の事で手一杯感のあるアミダラよりは風格がある。まあ外見の好みで論ずるか、存在感で比較するか、だけど。
イウォークが帝国軍と戦うシーンでは、確かに丸太の仕掛けでランドウォーカーが倒せてしまう、という脆さは非難されても仕方ないが、善良な彼らが懸命に戦う、時には仲間を失ってしまう。というのが戦争の現実を体現出来ていたと思う。
それに脆さ、淡白さ、ヘタレさw が今作の特徴ともいえる。格好つけて登場したのにあっさり敵の手に落ちる主役達、偶然であっという間に砂中怪物に喰われるボバ・フェット(父より酷い)、ジャバも女性の腕力で死ぬか~?というのもあるが、あれはレイアがジェダイの血を引いている為、フォースが「理力」ではなく「怪力」として発揮されてしまったのだ、という説が好き。
後半、いよいよスカイウォーカー父子は剣を交える。「父を超える事は父殺しを行う事」という展開になるのか、という不安感が堪らない。マーク・ハミルは撮影前、交通事故で顔面を負傷し美容整形したらしいが、その顔の歪みがダークさを感じさせる効果に。その戦いをニンマリと愉しむ皇帝。どちらが死んでも強大なフォースは手に入るからだ。
ところでこの皇帝のローブ。やっぱ貧乏臭い。多分帝国内で一番貧乏臭い。インペリアル・ガードの紅が鮮やかなだけに。パルパティンの時の方が豪奢だったのにね。
そして何か締まらないソロに代わって、我らが(?)ランド様がファルコン号でデススターに挑む。この選任は正しい。一匹狼のソロより、クラウドシティを統治してきたランドには「リーダーの風格」がある。出目金提督アクバーへの進言も的確だし、頼もしすぎるぜ、ランド。「傷一つつけないぜ」と約束したファルコン号の屋根こすっちゃったけど。
そしてヴェイダーを凌いだルークに必殺電撃を浴びせる皇帝。今作で唯一不満があるとすれば、この「電撃」のチャチさ。だって唐突だから。「EP2」でヨーダが使ってたけど、あれを観ていたならまあねー、という感じ。ジェダイでも殆ど使ってなかったところをみると、余程のフォースがいるのか。矢張り新三部作はフォローとして必要なのだ。「父さん助けてー!」も「兄さんアタマが痛いよー!」(NightHead)的で良い。何にせよ父子ものに弱い私。
ただ、ここでもヴェイダーがいつ皇帝への心酔を止めたのかが描写されない。「EP3」であるのだろうか。
そしてあっさり死ぬ皇帝。あっさり墜落するスーパースターデストロイヤー。がっかり素顔のヴェイダー、など経て、ランド様がデススターを破壊するシーンにようやくカタルシス。流石ランド様(持ち上げ過ぎ)
ところで今回の特別篇、DVD版、と修正が入りまくるSWだが、今作での修正ラストは頂けない。オリジナル版ではイウォーク達の演奏と合唱が凄く「大団円」なエンディングになるのだが、特別篇から解放された各惑星の歓喜する市民達のシーンが追加された。これがちょっとねー。音楽もなんかチープ。かなり蛇足の極み。観客の想像に委ねるべきだった。気持ちと意図は判るけど。
ただ、最後の最後、死んだヨーダ達が霊体でルーク達を見守るシーンで劇的な変化が。
がっかりヴェイダーの役者さん(セバスチャン・ショウ)の顔を、現アナキンのヘイデン君に挿げ替えたのだ。これはいい仕事。これならヴェイダーファンも納得。醜いのはダメなのね。
これはDVD版のみの修正だったので、ここで拝めるとは思わなかった。どうせならサイボーグなんだから年取らなかった設定にして、ヘイデンヴェイダーで死ぬシーン撮ればいいのに。ルークはバックショットだからいける筈。
SWエピソードはこれにて完結。色んな伏線や謎を残したままなのだが、未だに判らないのが「ジェダイの死に方」。オビ・ワンやヨーダは姿が消える死に方。クワイ・ガン・ジンは火葬されたから肉体は残ってた。という定番の謎。これは電撃と同じでジェダイの秘伝なのか、とかヴェイダーの火葬はスーツだけで中身は消えてたから、とか色んな諸説が出ている。
まあ、これも想像を愉しむのが一番なのかもしれない。
エピソード2 クローンの攻撃
エピソード5 帝国の逆襲
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投稿者 UT : 15:23
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2005年07月13日
三谷幸喜、4年ぶりの新作映画!
「みんなのいえ」以来待望の新作。第一作「ラヂオの時間」は自分の中で1,2位を争う完璧なコメディ映画。
今回は「ホテル」もの。「笑の大学」DVDのコメンタリーで既に舞台は明かしていたらしい。
三谷さん曰く「ラヂオの時間」は「アメリカ映画のような日本映画」、「みんなのいえ」は「日本映画のようなアメリカ映画」だとか。新作はまさか韓流とは云うまい。でもリップサービスの鬼だから何とも。
映画といえども相変わらずの「一幕もの」設定は変わらない様で、スタジオにホテル内装を丸々作り上げた(美術は「スワロウテイル」「キルビル」の種田陽平)限定空間での群像劇が愉しみ。
2時間のリアルタイムものということで、「24?」という向きもあるだろうが、そもそも舞台は生。安直な発想で無い事は間違いない。30人前後の登場人物が「9つのエピソード」を紡ぐということでどちらかといえば「ショートカッツ」や「マグノリア」みたいになるのかも。(「グランドホテル」は観たことなし)
今日の「めざましテレビ」では三谷さんが欠かさず番組を観てる、という情報を利用して軽部さんがテレビから「三谷さーん、観てたら電話してくださーい」という無茶ぶり。
でもホントに電話かけてくる三谷さん。仕込みかもしれないが彼の性格ならあるいは・・・w
今日は投稿多いな~。仕事が忙しい時ほどブログのエントリーが増えるこの現象。いかに息抜きになってるかということ?制作→飽きる→エントリーのループ化。
それにしても三谷幸喜と京極夏彦を同時に並べる人なんて自分くらいかなぁ、と思って検索してみたらいらっしゃったので驚く。と同時に嬉しくなった。
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投稿者 UT : 16:26
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「スタジオパークからこんにちは」に京極さん登場。民放では不可能な独占長時間トーク。
映画予告編
京極夏彦オフィシャル(太極宮)
ただ、「スタパ」はNHK(国営放送ではなく共同放送らしい)ならではというか、ちょっとファンには淡白なつくりになるのが難点。妙な企画とか、未だに意味不明なのだが、何の脈略もなく「生活情報」とか割り込んでくる。それらを危惧し、観たいとこだけ早送りした方がよかろうと録画して正解。
・・・何を以ってアナウンサーが「姑獲鳥」朗読してんの?。君はもう莫迦かと。サルかと。
オープニング。いきなり「姑獲鳥」を何と読みますか?という観覧者への質問で無駄な時間を費やす。たまたま質問された方々は全滅だったが、あれサクラかも。ファンも大勢行ってる筈だしな~。
「ウブメです」「ウブメじゃん」「ウブメですけど何か?」とか三連コンボだったらDVDに永久保存してたよ。 読み方を説明したところでいよいよ京極さん登場。黒づくめの着物に革手袋、という姿を見て「あ、普段着」と思える様になったらオシマイw
冒頭はその格好に対して視聴者からの質問、というか愚問。「その手袋はいつでも身につけてるんですか?」というそれに対し、出たよ!
「風呂に入る時パンツを履きますか?家の中でコートを着ますか?という質問と同じですね」
シニカル炸裂。間違っても「さすがに普段はしませんよ~ハハハ」とは云わない。それが京極オリジナル(?)
映画の映像をチラっと紹介し本格トークに入るも、内容はこれまで各媒体で話してきた事と同じ。視聴者や観覧者がフツーの人なのを考慮してか初心者向けというか無難というか。新鮮味は正直無かった。
「妖怪」は現象のキャラクター化、着物姿など「郷愁」を誘う姿でないとそれと認識し得ない、といった既出の説明を流暢に語る京極さん。
ただ文章で読むのとは違い、「妖怪は日本の土壌でしか成立しない」という論拠が、京極さんの着物姿によって説得力を増すのがテレビならではだと妙に感心。メディアに出る時に己の作品密度を上げる為、自己演出をかかさない事を改めて尊敬した。いや、まあ趣味もあるでしょうが。
マンガの前に柳田國男著作を辞書片手に読破した、お子さんの幼稚園の卒業アルバムのデザインをした、など段々話が映画から逸れてきて終了。「スタパ」を知ってたからそれほど落胆は無いけども、「爆笑問題のススメ」に期待を託す。
それにしても本編の映像で「堤さんの京極堂」が消えた瞬間、京極さんの顔がアップになった時の「しっくり感」ときたら。途端に堤さんに違和感を抱く始末。まずい。
京極さん、いくら否定しても、ご自分こそ「京極堂」に最も相応しい事をまず確り認識しなければなりませんよ。自分の存在が映画の出来に陰を落とすなんてw
明日はyahooムービーで冒頭10分間。心せよ。
「姑獲鳥の夏」前記事
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投稿者 UT : 16:10
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2005年07月10日

いよいよ京極堂へ。目眩坂を上り始めなくては。
映画予告編
京極夏彦オフィシャル(太極宮)
そもそも京極さんに出逢ったのはNHK教育の「ソリトン」。高野寛と小沢たまきが司会してた。
当時、手甲は変わらずだったけど、長髪を後ろで括って、失礼ながら「陰鬱な太平シロー」の様だった。今の髪型の方がよいね。
今日は「帝国〜」で予告編が流れる。実相寺昭雄監督だから「D坂の殺人事件」テイストを連想してたけどピタリ。あの雰囲気なら云う事無いんだけども、メジャー作だから「D坂~」みたくエロスというか妖気立つ演出は無理かな。
キャストは発表時から大分馴染んできたけど、やっぱり唯一木場修だけ納得いかないな〜。宮迫さんは大好きだけど、どっちかといえば青木くんが似合うのに。豪快かつ繊細な木場修は「高嶋政弘(兄)」と決め付けてしまってるので。いや宮迫さんつながりならグっさんの方が体格的に・・・と云い出したらほんとキリが無いけども。それに対して京極妹ははまり過ぎ。いかにも「あっちゃん」。
(どーでもいいが「うぶめ」は「姑獲鳥」と一発変換するくせに、「みやさこ」が変換不可とは何故だ、OS X。不思議な事ありまくりだよ、関口君。)
とりあえず、予告編ラストでビクゥ!ってなった、いしだあゆみの躁狂な叫びを観るためだけにでも行く価値がある。怖過ぎる。多分最近のホラー映画やゲームのCMみたく、過保護なママ達からクレーム来る事必至。
■映画情報■
映画オフィシャルブログ
Yahoo!ムービーにて、7月14日(昼)〜15日(昼)の1日限定で
「姑獲鳥の夏」本編冒頭10分間を配信
■京極夏彦テレビ出演情報■
「スタジオパークからこんにちは」NHK総合
7月13日 (水)午後13:05〜13:59
「爆笑問題のススメ」 読売テレビ
7/31(日)、8/7(日) 24:55
■雑誌情報■
別冊宝島
京極さんのコメントとかさらっと立ち読みして戻したレベル。
実相寺監督のインタビューに富野由悠季と似た「天邪鬼」感を受けた。
■上映前批評■
超映画批評
ちょいショックな程の点数w 原作にも厳しい。でもまあ京極さん曰く「波平の眼鏡」につきるのがまた魅力な訳で。
他にも試写会に行かれた方の辛い評が多し。この調子では「魍魎~」はなし?ダヴィンチで誌上上映してた「鉄鼠~」は飯田譲治で、とか期待してたんだけど・・・。
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投稿者 UT : 23:56
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「帝国の逆襲」 生まれて初めて映画館に観に行った作品。ひたすらダーク、というかダーティ。だからこんな(?)性格になってしまったのか私。
「EP1,2」によってルークの短気、ヨーダの彼に対する複雑な感情、態度がすんなり理解できる。一度アナキンへの判断を間違ってしまったというトラウマや後悔があるから。こいつの親の所為でジェダイ全滅・・・とか○国系の思考なら子々孫々まで恨みそうなものだもんね。
アナキンは必然的にダークサイドに堕ちなければ成らなかった、とまではさしものヨーダでも達観出来ない(またはしたくない)のかな。
シリーズ中、これが最高傑作だという意見も納得の完成度。監督は「ロボコップ2」等の故アーヴィン・カーシュナー。「ロボ〜」は1のポール・ヴァーホーベンのアクが余りにも強過ぎて目立たないが、悪役の10歳位の少年が麻薬を扱ってる、とかのダークさがかなり良かった。意外に好みの監督だったのかも。
今作での魅力はダークさは勿論、ヨーダと共に初登場の「ランド・カルリシアン」男爵だろう。ハン・ソロの悪友であり、その友を自分の街を守る為に売らざるを得ない男。男爵というだけあって(多分金で買った爵位っぽいが)ソロとは違うノーブルな魅力がいい。でも昔のダーティさや友人思い(結構片思い)なとこが覗くのがまたいい。黒人キャストはやはり深みや渋さが加わるなあ。でもメインキャラには嫌われ虐められるランド様。ラストで腕を切られた初対面のルークをちらっと気遣う優しさなんかも上手い演出。
「ジェダイの帰還」ではファルコン号を駆り(元々自分の船)、デススターを破壊する活躍が拝める。
と、ふと検索してみると、ランド一色のサイトが。素晴らしい。
男爵の男爵による男爵のためのホームページ
今日の放送では若本規夫(DBのセル、サザエさんの穴子くん)が声をあてているが、やっぱ内海賢二(アラレちゃんの千兵衛さん)のランドがベスト。「ジェダイ〜」でデススター内部に侵入し、ぶつけそうになった時の「今のは危なかった!」という言い回しが未だに好き。声優は日本人には大事なのだ。C-3POは野沢那智。ヨーダは永井一郎でないとどうもしっくり来ない。
新旧わざと演出をリンクさせているというだけあって、「EP2」と同じくメインキャラの別行動、捕縛、危機、C-3POの破壊w などが楽しめた。殴ったら直るメカや順番に殺されていく帝国軍提督たちもいい味。特に暗闇のセイバー戦は美しい。主人公が倒される絶望感もまた良し。人間の機微が描けてないと云われるSWでも今作は「I am your father」や「I love you」「...I know」といった映画屈指の名台詞があったりする。
また「おまえと一緒なら皇帝も倒せる」というヴェイダーの発言に、どの辺でパルパティン=シディアスへの信頼・心酔が無くなったんだろう、と思った。アナキンも大人になったのかね。
ところで何かのサイトでセイバー戦は日本刀みたいに腰を入れて使うべきだ、との指摘があり、成る程、と納得しつつも「EP2」のドゥークー伯爵が手首で華麗にセイバーを操る姿も魅力的だなーとも思う。(ただアレはスタントマンで首だけクリストファー・リーだったとか!)
まー、何にせよ、私は爵位に弱いということだな。どんなシメだ。
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投稿者 UT : 23:30
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2005年07月08日
いくら愛されても自分が愛せないから堕ちる | [嗜好の映画] |
「EP3」直前チェック。
「フォースの調和をもたらすもの」と予言された主人公アナキン。しかしそれはスポンジの様に暗黒面、全ての負を背負わされ、あまつさえ己が息子に倒される事で成就される。彼は必要悪としてだけの存在だったのか。
予言は必ず当たる。でもその解釈は誤解だったり、残酷なほど展開が面白くなるという好例。「NightHead」でも敵ボスが自分が世界を救う存在だと信じてたら、主人公達を覚醒させる為の当て馬だった、という同様のオチに唸った記憶がある。
久々に「人身御供」という単語を憶い出した。(クワトロ大尉のお言葉)
他局同士で新旧SW放映してくれるんで、綺麗に伏線や運命性を整理できた。あとこだわりも凄い。
特に「EP4」観たばっかりなので、ルークを引き取ったラーズ夫妻の若い頃なんてよくそっくりさん見つけてきたな~、と変に感心したり。
俳優ではヘイデン・クリステンセン(アナキン役)が良かった。後のルークを連想させるきかん坊な直情タイプが上手く出ている。「海辺の家」はいかにもな「お涙系」っぽいので敬遠してたが、ちょっと観てみたくなった。マーク・ハミルみたいにこれのみで消えないで欲しい。
「いつ愛してたの?」というくらい唐突、あるいは感情隠し上手なパドメは、この手に母性本能くすぐられたんだろうな。その遺伝子もレイアに引き継がれてるし。
オビ・ワンの呑気なお師匠さんぶりも微笑ましい。マスターになれるかどうかは「父性」の有無だと思う。ヨーダの達観、メイスの冷静さ、など色々あれど、そこに父性がないと下は育てられないんだろう。
パドメより、師弟の関係性の方が後の不穏さも含め、後の決裂に、より悲壮さが加わりそう。
内容自体の批判は散々出尽くしてるので今更だけども、やっぱバトルが淡泊かな。カタルシスが感じられなかった。まるで「BLEACH」の様に、盛り上げといて中断・うやむやみたいな。
特にフェット親子のあっさり死亡DNAなんて、別に証明しなくても良かったのにw あの子役は少年らしい無邪気な残酷さが出てたり、父親(とゆーか自分)のヘルメット(首?)を額に押し当てるシーンが印象的。でも「EP3」には出てこないんだよね。ひとつ「復讐劇」が出来そうなのに勿体無い。
メイスがクローン・トルーパーに指示出してるシーンで、「そーいやクローンの本体はジャンゴだ」と気付いて、メイスの心中いかばかりかと、と失笑してしまった。
アナキンのダークサイドへの堕ち方は、今回は「不幸の偶然」で次回がパルパティン=シディアスの策略になりそうだ。タスケンを惨殺した時の「負のプレッシャー」を遠く離れたヨーダが感知したなら、パルパティンも感じない筈が無い。「EP1」では結構あったその辺の描写が足りない気がするけども。
マイナス思考の人間て、周りがいくら愛情注いでも疑心暗鬼に浸る。いい事があったら次は必ず不幸が来るんだ・・・みたいな。櫻井敦司的とゆーかw
パドメから「愛してる」と告白された時の戸惑い顔も、「いや、僕なんて・・・」的な素直に飲み込めない反応だったし。あれだけ欲望ギラギラで愛してる!とか云いながら、いざ相手が応えると自分の愛情も疑ってしまう哀しさ。
「EP3」。予告編でのジェダイの殺されっぷりが、「ゴッドファーザー」的で期待できそう。個人的には「BASTARD!!」の「地獄の鎮魂歌」編で侍達が全滅した時の絶望感を体感できれば云う事は無い。
2週間後くらいで空いてくるのを見計らって愉しみたいと思う。
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投稿者 UT : 23:39
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