2006年05月11日
 | 多分発泡スチロール製。 |
◆50 years with miffy ミッフィー展 (大丸ミュージアム・梅田)
うさこちゃんことミッフィー(本名はナインチェ)生誕50周年記念展。いつも陰鬱に暗い照明の会場も、流石に子供向けの所為か明々としてました。
ところで、会場入口でウサミミ帽を被ってモギる女性スタッフの姿に、何故か気まず〜い気分に。
・ディック・ブルーナ 公式サイト ※要Flash。
・ナインチェについて (Wikipedia)
・Dick Brunaとブラック・ベア (ネピア) ※ミステリ作品の装丁なども紹介。
入場すると案の定、泣き叫ぶベビーカー軍団と遭遇。 平日ラストでこれだから、初日やGWは阿鼻叫喚だったんだろな、と独りごちたけど、思った程鑑賞の邪魔にはならず、寧ろ年期の入った女性ファン達の姦しい会話の方が鬱陶しかったw
肝心の展覧内容は正直フツー。ミッフィーの絵本シリーズより何冊かピックアップして一枚一枚レイアウトし、一部に原画を挿入する、というパターン。
初期のミッフィーがかなりグダグダな造詣なのを、第八刷くらいから現在の洗練されたスタイルに一気に変更した歴史はなかなか面白かったけれど、何故そこまで劇的に絵柄が変化したかを掘り下げなかったのはちと残念。まあ、子供達にはそういう技法的な部分はどうでもいいのかも。
そんな意味で一番感心したのはブルーナの描画を記録したビデオ。
彼の特徴であるIllustratorのパスツールの様なフラットラインは、和田誠や寄藤文平みたく一気に描いているのかと思いきや、慎重に用紙を回転しながら細筆でゆっくりゆっくり緻密にチマチマと点描の様な作業で生まれていると知り、かなり驚いた。
ミッフィーのアウトラインをよく見ると判る微妙な歪みは、この描画方法と用紙表面の凹凸の賜物なのが判っただけでも個人的にかなりの収穫。
今回はあくまでミッフィーメインだったので、初期の装丁作品などブルーナ全般の作品を網羅した展覧会を切に望みたい。
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2006年03月31日
 | 未だに何で「あしゅら」って名前なのかワカンナイ。 |
ニキ・ド・サンファル展 (大丸ミュージアム・梅田)と野田凪展 (dddギャラリー)を鑑賞。
偶然、二人とも女性作家で、己の「性」に対しての自意識、コンプレックスが表現の根底にある作風。
ニキは時に熱い、野性味溢れるポジティヴな外向きのパワー、野田はフェミニンで「男性」を一切排除した、ともすれば病的な自己完結タイプな違いもまた面白かった。
・Pink [Stupid Girl] (YouTube) ※女性の「同性嫌悪」を描いた風刺PV。要Flash。
◆ニキ・ド・サンファル展 (大丸ミュージアム・梅田)
入場してすぐドキリとするのは、ライフルの銃口をこちらに向けて構えるニキ自身のポートレートだ。元モデルと云う美貌の中で、知性をたたえた鋭い眼光がひときわ強烈な印象をもたらす。
続く順路でも、二匹のカラフルな蛇で構成された鏡と椅子が出迎えてくれ、まさにツカミはバッチリ。
ニキ・ド・サンファルがまず面白いのは、絵の具を埋め込んだレリーフや彫刻をライフルで撃つ、と云う前衛的な手法を取った「射撃絵画」で性的コンプレックスを表現した点だ。
ダリやフリーダ・カーロに限らず、自分の「性」を表現に繋げるアーティストは多いが、「破壊」によって一度「死」を与えつつ、流れ出す血潮の如き絵の具によって新たな作品へと「再生」させるという意図は斬新でかつ判り易い。
中でも「モンスターのハート」「赤い悪魔」などはアンチキリスト教としての偶像破壊とポップさが見事に融合し、ゴス嗜好の人間も引っ掛かりそうだが、多分本人にそういう傾向は無い。
ただ、この一連の作品は、ライブ・ペインティングの様な、インスピレーションをそのまま叩き付ける本能的な要素は薄く、理知的で造形として整合感が取れ、完成度も高い。
これは、次の順路の解説文にも指摘してあったが、立体物故に製作過程で完成品への意識や計算が反映された為だと思える。つまり完全な「無意識の衝動表現」には成り得ていない訳だ。
「恋人を忘れる為」と云う藁人形の様なコンセプトながら、痛々しさと云ったものを滲ませないところに、ニキと云う女性の知性と感情処理能力の高さを実感してしまった。
その後、激しかった性的コンプレックスが次段階を迎え(ある意味「射撃絵画」の試みが失敗した所為か)、同じ造形物でも、より原初の衝動、温かみを体現した代表作「ナナ」へ移行した事は非常に納得のいく展開だ。
特に「最初のナナ」は後のポップな色彩とは異なり、まるで産まれ出たばかりの嬰児の様に赤黒い外見だったのも感動的だった。
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ただ、個人的に、もともと彼女は「内向的」なタイプでは無かった気がする。初期の絵画作品も精神治療の一環で描いたらしいが、それらは全て「誰かに観て欲しい」と云う外向きのパワーに満ちていたからだ。
そんな意味で久々にオーラやエナジーをドーン!と貰えたのが嬉しかった。
他にも、ピンクのシャネルサングラスをかけ、森光子そっくりな声のニキ美術館館長が印象的な上映ヴィデオや、エアが入った様な装丁の図録も観応えがあり、つくづく、何度でも入場出来る大丸ミュージアム・パスカードを買っておいて良かったと思える展覧会だった。
大丸ミュージアム・梅田で9日(日)まで開催中。
・ニキ美術館 ※トップでナナ像が倒立屈伸運動してるのに噴いた。
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◆野田凪展 - HANPANDA コンテンポラリーアート展 - (dddギャラリー)
まるで「男子禁制」の少女コミック。これが野田作品の第一印象であり、最終的な結論でもある。
女性に優しく、共感を以て話を聞いてくれ、決して暴力を振るわない理想の男性しか出て来ない非現実的な日常の如き世界が会場には拡がっていた。
たまたま自分が鑑賞中、彼女が手掛けたYUKIのヴィジュアルが大好きだと云うファンの女性が係員と熱心に喋っていたが、如何にも少女コミック好きな乙女と云った体のその女性に「宗教や勧誘に弱そうだ」と失礼な判断をしつつ、野田作品はそういう思い込み世代を取り込む要素が強力な事も実感した。
ニキが「男女の違い」に苦しみながら、最終的に「性差」を受け入れつつ昇華したのに対し、野田凪は「男の性」を一切排除した「自分だけの秘密の部屋」に閉じこもった作風に思える。
それはクライアントがパルコなどの女性をターゲットにした企業が多いからだけでは無いだろう。
例えば、水着やメイド服、フリフリのドレスを着たモデル達が描かれるポスターやヴィデオには、一切「セックス」の要素は無い。勿論、そもそもターゲットが女性である以上、性的な要素が強いものは「同性嫌悪」を招く恐れがある為、抑制しなければならないのは判る。
だが、逆にそのセクシャリティをテーマにした作品にすら「違和感」があるのは、彼女にとっての「それ」が日常と乖離している為ではないか。まるで耳年増な女子中学生の妄想を抱え続けている様な。
テクニカルな面では、正直なところ、彼女独特のセンスや特徴は余り見受けられない。どこかで観た様なAdobe Illustratorの描画や画像はかなりありふれたものだ。
だから、彼女の魅力になるのは代表作である「ハンパンダ」の、肉体の半分を切り落とし、そこに別の動物をくっつけた明らかな性的コンプレックスと変身願望の現れや、自らセーラー服などのコスプレをして写真に映るナルシズムと「女性」性への執着だ。
そういう矛盾と願望が、美少女モデルの下半身をプードルの様に奇形化するポスターの様に、どこか作り物っぽい病的な印象を強めているのかもしれない。
学生時代、「女であること」に葛藤する知人が何人か居たが、日本人だからかどうか、その衝動を表現した作品はどこか湿った感触で、心象風景の抽象画だったり、自傷的な自画像といった「内に向かった」ものが多かった様に記憶している。
それは、悪く云えば自己満足でありナルシズムの排泄物の様に思え、「誰かに伝えるもの」ではないな、と独りごちたものだ。それに魅力を感じるとすれば美術への感動としてではなく単なる「共感」だと云える。
そんな意味で、野田凪の広告は、主に女性の共感をピンポイントに集められても、前進するエネルギーを与えられる類のものでは無いと云い切ってしまおう。
勿論、それは悪い事では決して無い。現に彼女の手掛けた商品は売れ、社会的な評価も高い。
ひょっとしたら、自分はここまで閉塞的で限定された世界の在り方に、未だに戸惑っているだけかもしれない。
大阪・堂島のdddギャラリーで 14日(金)まで開催(入場無料・土日祝は休館)。
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と、かなり思うところがあったこの二つ。通常、自分は黙って鑑賞したい為、一人で展覧会に赴くのだが、強烈な「女性」を見せつけられた今回に限っては、無性に女性側の解釈や意見が聞きたくなってしまった。
そして、「女性」にとって権利や立場は平等である社会であるべきだが、表現の世界に於いては性差やコンプレックスが如実に出た方が面白い筈だ、とも思わずにいられない。不謹慎かもしれないが。
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2006年03月18日
◆大丸ミュージアム
各都市の主要駅から直ぐ、という交通の便の良さと、程良い(場合によってはタダ同然な)入場料設定で気軽にアートを楽しめる「大丸ミュージアム」。
今月は加山又造展 (神戸)、パウル・クレー展 (梅田)、ジョン・レノン写真展 (京都)の三つを鑑賞。
ちなみに関西のみならず、東京、札幌など全国の大丸ミュージアムへ何度でも入場出来るミュージアム・パスカードを使えば、2、3回で元が取れるのでとってもお得。
・各店スケジュール
◆加山又造展 (大丸ミュージアム・神戸)
高校時代の恩師に薦められて知った画家。それまで全く興味の無かった「日本画」に触れる契機になった方だけれど、今も尚この人に惹かれるのはジャンルに束縛されない自由で柔軟な画風の為。
特に若い頃の作品はピカソのキュビズム、ダリ、マグリットのシュルレアリズムに影響を受けた様に先鋭的なものが多い。裸婦画などもクリムトを思わせたりするし。
今回は名作「千羽鶴」を始め、水墨画、素描、版画、陶磁器、着物など多岐に渡る充実した出展。
どの展覧会にも云える事だけれど、サイズの大きいものや立体物など、「生」で観るべき作品が多いのも満足感を高めてくれた。
例えば、全長5m近くある巨大な屏風絵「牡丹」の圧倒的な荘厳さにはすっかり打ちのめされてしまい、丁度良く置かれた椅子に10分くらい座って眺め、たっぷり堪能してしまった。
触手が生えた様な独特のタッチで描かれた白牡丹の花弁はエロティックな妖しさに溢れ、画面の左半分へ陰鬱に配置される黒い牡丹からは据えた死臭を錯覚してしまう。一切動物を描かずに「エロスとタナトス(生と死)」を表現したこの大傑作は原寸で観ないと意味が無い作品の最たるものだろう。
あとは和紙の使い方。同じ画面内でも場所によって別の紙を重ねて質感、表情を変えるなどの工夫に感嘆した。欧米絵画、特に絵の具を盛りつけていく手法である油画はキャンバス自体に余り頓着しない(する必要が無い)印象があるが、水墨、水彩の様な繊細な表現が多いアジア絵画では、紙自体が既に重要な媒体であり、それを選んだ時点で作品の方向性、クオリティが決まる事実が実感出来た。
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ちなみに先述したダリは、晩年に宗教画や抽象画などの古典回帰を図ったけれど、加山又造も同様に後年、水墨画、屏風絵、天井画といった伝統に則った大作を手掛けているのは勝手に共通項を感じてしまう箇所だ。
ついでにもう一人、創作スタンスが似てるなぁ、と感じるのが坂本龍一。ポップ、前衛的な作品を創り出すと同時に、東京芸大で培われたアカデミズムでオーケストラやオペラも発表する彼と、幼い頃から日本画に触れる環境で育った加山氏の生い立ちがダブる。
そして、ダリや坂本龍一の「伝統的」な作品が単なる模倣に終わらない様に、加山氏のそれも当然「現代性」が強い。ダムや東京の高層ビルを水墨画で描いた作品などにはそういった実験精神が溢れていた。
と、たっぷり堪能出来た今展。ただ、当然と云うか残念ながらBMWアートカーや京都・天龍寺の雲竜図が観られなかったので、ちょっとした欲求不満ではある。なので、そろそろ全画集の出版を期待したいところ。
大丸ミュージアム・神戸で20日(月)まで開催中。
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◆パウル・クレー展 (大丸ミュージアム・梅田)
「抽象画」と云えば想起するのはカンディンスキーとこのパウル・クレー。
ただ、同じジャンルでも、前者が洗練と計算、そしてどこか暗さを感じるシュルレアリズム的な作風なのに対し、クレーは素朴で幼稚園児の様な無邪気で暖かみのある雰囲気の作品が多い。麻布に描いていたのに軽く驚いた「眼」等の人物画はどこかポップなのも興味深い。
好みとしては「ピラミッド」や、描画方法に実験を重ねていた時期の、漆喰の様に立体感のある断片を貼付けた様なタッチで描いた「来るべき者」が印象に残った。
ただ、評価の高い「素描」に関しては淡白と云うか、着彩画程には心が動かず。まあ、単に、以前同会場で観たホルスト・ヤンセンの妖しい描線の方が好みな為だけど。
あと、これも以前観た古代エジプト展で思ったのだが、この会場はどうも照明が下手。観る者の影が作品に落ちたり、ガラスに光が反射する様な配置は如何なものか。
それに、いくら美術館側の指定とは云え解説文章など眼を凝らさないと判別出来ない明るさは辛過ぎる。実際ビデオで流していたパウル・クレー・センターではかなりの光量で作品展示をしていた様に思えたのだけれど・・・。
天井の低さと云い、現時点では関西の大丸ミュージアムでは一番不満のある会場だ。
大丸ミュージアム・梅田で21日(火・祝)まで開催中。
・KLEE GALLERY (日本パウル・クレー協会)
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◆ジョン・レノン IN NEW YORK CITY ボブ・グルーエン写真展 (大丸ミュージアム・京都)
ジョン・レノンやローリング・ストーンズなどの名立たるミュージシャンから全幅の信頼を得るフォトグラファーの個展。
とは云え、「ボブ・グルーエン」がメインではない印象なのは残念と云うか当然と云うか。
つまりハッキリ云って彼の写真技術、作風自体はそれ程評価できるものとは思えないのだ。信頼と親しみが伝わってくるレノンの表情群は確かに良かったけれど、彼が映っていないNYの風景などの没個性ぶりが顕著なのはちょっと哀しい。
同じポートレートでも「Double Fantasy」の篠山紀信にはハッとさせられるものがあるし、「Sometime in New York City」でも彼の写真より、「お下げ髪の日本女学生に無理矢理切腹させる」と云う異様なイラストの方が目を惹いてしまう。
ただ、自分の好きな写真スタイルがポートレート系よりハーブ・リッツやアルバート・ワトソンの様な作り込んだ手法なのでそう感じるだけかもしれない。
と、残念ながら好みでは無い人ながら、ミュージシャンに好かれ、信頼を得ると云うのは音楽フォトグラファーにとって一番大きく、重要な才能なのが良く判った。
ちなみに、レノンあるところヨーコあり、と云う感じで殆どセット状態が目についたオノ・ヨーコ。ファンにとって賛否両論な存在なのが似ている「ダリにとってのガラ」同様、本当にレノンの女神だったんだろうなぁ、と感慨深くなった。
大丸ミュージアム・京都で21日(火・祝)まで開催中。
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2006年03月17日
 | おトイレも何だかアートなフォルム |
◆プーシキン美術館展 シチューキン・モロゾフ・コレクション (国立国際美術館)
何だか美味しそうなお名前の著名コレクター達が所蔵する名画が目白押し。
大阪・中之島の国立国際美術館で 4月2日(日)まで開催。
・プーシキン美術館展 (A.) ※各作品を詳細に言及したレポート。
ピカソ、マティスなどのビッグネームも良かったけれど、個人的な収穫は、上質のチョコレートの様な滑らかで美しいブラウンで表面を仕上げたウジェーヌ・カリエールの作品。
特に「母の接吻」の幽玄な美しさには心底見蕩れてしまった。でもあんまり画集とか無いみたいで残念。
[ウジェーヌ・カリエール その他の作品]
・親密
・アルフォンス・ドーデとその娘
・母の接吻 ※今回出展のものとは別の作品。
・母と子
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ちなみに同時開催中の美術館所蔵展「コレクション・4」も見応えがあり、ダリと並んで好きなシュルレアリストであるマックス・エルンストや、Blurのベストアルバム・ジャケットで有名になったジュリアン・オピーの作品など、逆に「プーシキン展」より好みだったかも。
・ジュリアン・オピー 公式サイト
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2006年02月04日
◆没後50年 モーリス・ユトリロ展 (京都高島屋) ※先月29日まで。2/23から大阪でも開催。
孤独に生まれ、母の愛を永遠に追い求めた男の回顧展。あまり一般には知られていない「薔薇の時代」期の作品に新鮮な驚きを感じたし、照明の配置もソツ無く、画家が暮らした当時の風景を再現した一角があったりと、充実した展示形態に満足。
ただ、これは主催者側とは関係無いのだが、一部の作品提供者が明らかにアンバランスな額縁を使っているのが気になった。ルネッサンス絵画じゃあるまいし、素朴な街並みを描いた作品に合うかどうかを鑑みないセンスにはちとガッカリ。
・モーリス・ユトリロについて (Wikipedia)
・モーリス・ユトリロ「ラパン・アジル」 (美の巨人たち)
一枚の絵が描かれる理由、背景には様々なものがある。観る者は絵の隣にあるキャプションで己の想像を補完し、或いは先入観を一切排除して、感じた印象だけを楽しむ。
ユトリロの場合、この「背景」が非常に強烈過ぎる事が、今回改めて判った。奔放な母、シュザンヌ・ヴァラドンに振り回されながらも深く彼女を愛し求めて描いた風景画の数々は、一本の映画に出来そうな逸話と切り離して観るべきかどうか迷う。
一般的には鬱屈した精神状態を表した「白の時代」が高い評価を受け、メディアでもそれをメインに紹介されているが、今回意外で新鮮な驚きだったのは、母と、自分と三つしか違わない継父に金の為に描かされた「貨幣製造機」と揶揄される「薔薇の時代」のカラフルで喜びに満ちた様な作風だ。
特に寒い時期の朝に見られるピンクがかった雲の描写には強く惹かれるものがあった。
展示会場の一番奥に配置され、サイズも最も大きい「ムーランの大聖堂」にはその雲が効果的に描かれ、「白の時代」のものとは別種の迫力、というか神々しさを感じ、暫し立ち尽くしてしまった。
確かに妄念のエネルギーや強い印象などは「白の時代」に劣るかもしれないが、逸話にある「不幸」はさほど感じなかったのは何故だろう。
生活を気にせず絵を描ける開放感と、贅沢三昧の母に喜んで貰える嬉しさといった彼なりの「幸せ」を感じた事も確かだ。この頃はユトリロにとって不幸な時代だと云われるが、他人の幸福の基準などは誰にも判りはしないだろう。評論家達はあえて彼を悲劇の主人公にしたがっているのかもしれない。
人間の存在しない風景画ばかりを描き続けた孤独な男の関心は、ただ母の笑顔が観られるかどうか。
後世の我々にどう評価されようが、そんな事はどうでもいいのだろうな、と、自分を含め大勢の人間が絵に群がっている様を観てちょっと可笑しくなった。
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2006年01月17日
 | 報酬はチーズだ・・・ |
◆スイスポスター100年展 (dddギャラリー)
「スイス」と聞くと「ハイジ、ピングー、ゴルゴ13、パウル・クレー」や「時計、万能ナイフ、永世中立国」といったイメージ。
大阪・堂島のdddギャラリーで 2月8日(水)まで開催(入場無料・土日祝は休館)。
・スイスについて(Wikipedia)
・アルプスの少女ハイジ (公式サイト)
・ピングー (公式サイト)
・ゴルゴ13のスイス預金口座は安全か? (FP総研)
・パウル・クレー ギャラリー (日本パウル・クレー協会)
無知故の失言だが、あまり「デザイン」で印象のある国では無かったので、どんなものかと思って行ってみた。
しかし、正直やはり「印象は弱い」感じ。別にセンスが悪いなどと云う事ではなく「特色」をあまり感じなかったのだ。
つまり、古くはロートレックに始まり、アール・デコやドイツ、アメリカなど他国スタイルの影響が色濃く、この国独自のいわば「スイス」っぽさが弱かった。勿論メッセージ性の強い良作もいくつかあったのだが、アルプス山脈などスイス特有の景色を描いても「らしさ」にはならないだろう。
無料なので損をした感じは勿論無いが、ポスターだけで展覧会が出来ると考えたのは早計だった気がする。
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2006年01月16日
◆古代エジプト展 (大丸ミュージアム・梅田)
今年の展覧会始めは「死と再生」。昔からその造形や「金と青」の色使いなどに強く惹かれていたし、飯田譲治作品や「ジョジョ」第三部でも印象的だった「エジプト」。日本初公開のミイラなどを吉村作治の監修で各章に分けたレイアウトは、展示品を痛めない為か薄暗い照明で多少観辛いものの的確な構成。
大丸ミュージアム・梅田で29日(日)まで開催中。
・エジプト大使館・観光局
何と云っても「生」のヒエログリフやレリーフ、棺、マスクなどの荘厳な「迫力」に圧倒され、恐らくヒンヤリと冷たいのだろうそれらの感触を想像し、ガラスケースに入っていない品に何度も手を触れたくなる衝動を抑えるのに苦労した。
あとちょっとビックリしたのは正月明けの所為か親子連れ含め珍しく満員の館内。多少辟易するも、矢張り「死」は大多数の人が畏れつつも見つめずにはいられない深遠な魅力があるのだろうな、と納得。
それと関連するのかどうか、異様にお年寄りが多かったこの日、不謹慎かもしれないが色々と考察してしまった。
帰りは出口のショップで図録と黒猫のペーパーウェイトを購入。エジプトグッズは昔、京都三条の丸善で買ったアンクの指輪以来だな~。
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2005年12月09日
◆和田誠のグラフィックデザイン (dddギャラリー)
30年近く「週刊文春」の表紙を手がけ、星新一、三谷幸喜作品の挿絵や懐かしのゴールデン洋画劇場OPなどでも有名なイラストレーター・和田誠氏の個展。
本業のみならず、音楽家、映画監督と多岐に渡る活躍の中で、余り知られていない「グラフィックデザイン」の仕事をメインにセレクトされた作品群が意外で新鮮な驚きを与えてくれる。
大阪・堂島のdddギャラリーで12/22(木)まで開催中(入場無料・土日祝は休館)。
・和田誠プロフィール (Wikipedia)
・装丁作品一覧 (Halfnote Books)
・反戦イラスト
毎月、多様なキュレーションで充実しているdddギャラリー。今年の締めは和田誠と知り、てくてくと堂島まで。冬でも地下街を通っていけるし、帰りに「さぼてん」のトンカツを食べるのも結構な愉しみになっている。
会場は閑静なビル街にあり、来場者の数も程よく、落ち着いてゆっくり観られるのもいい。
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今回軽く驚いたのが、まずエントランスのポスターに書かれている和田誠本人の言葉。
いかに自分が「グラフィックデザイン」が好きかを語り、「イラストレーター」としての名声がその分野に携わるのを意外に思わせている事に遺憾を示しているのだ。
確かに自分のみならず、デザインを少しでも知る者なら彼の肩書きはまず「イラストレーター」だろう。
実際、この文章を読んではじめて「あ、イラスト展じゃないんだ」と気付いたくらいだ。それくらい「彼=イラスト」のイメージは確立されている。
冒頭の展覧会リンク先にあるポスター画像にイラストが全く無いことで判る様に、あくまでも今回は「デザイナー」としての和田誠を観て欲しいという意気込みが伝わってきた。
そして、いきなりコンプレックスを吐露され、面食らっている自分の目に飛び込んできたのが、彼のデザインした多数のCI、ロゴタイプを展示したボードだ。これのインパクトがまた凄い。
彼独特の丸みを帯びた柔らかい線のものもあるが、特にAdobe Illustratorなどのソフトで描いた様な先鋭的なロゴが新鮮。2005年現在のクラブ、テクノ系のフライヤーやCDジャケットなどで使われていても遜色無いそれらの下に小さく書いてある制作年が「1969年」などと知った時は衝撃だった。
かつて「ビートルズは既に全ての音楽の可能性をやり尽くし、後続のミュージシャンはその模倣に終始するだけだ」なんて言葉があったが、この35年、デザインの進化も同じだったのでは、などと思えたくらいだ。
ただ残念ながら、と云うべきか、実際はロゴタイプの仕事は少ない様で、殆どが友人の事務所や自ら監督した映画の架空の会社のものだったりするらしい。
「イラストレーター」としての輝く才能が、もうひとつの才能を邪魔しているとでもいうのか。何だか皮肉だ。
「デザイナー」宣言の後に、こういったロゴタイプを突き付ける配置が改めて彼の執念みたいなものを感じさせる。
しばらくこのボードの前に立ち尽くし、徐々に会場内へと歩を進めると、そこからはお馴染みのイラストがふんだんに入ったポスターや小説などの装丁がずらりと並んでいた。
ロゴタイプがインパクトのあるつかみとすれば、これらはリラックスして鑑賞出来る雰囲気。
芝居を観に行きたくなる、本を買いたくなる、という根本的な訴求力の高いデザインを愉しみ、「週刊文春」の実験的で、マグリットを思わせるシュールなイラストに驚きつつ巡回し、会場を後にした。
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一つ不満を上げるとすれば、会場の設営だ。
ロゴボードは頭上のライトの所為で作品に鑑賞者の影が落ちるし、ガラスケースの反射もしかりだ。レコードジャケットを瓦屋根の様に重ねて一部が見えない展示意図もイマイチ判らない。
無料なんだから文句云うなとの向きもいるかもしれないが、「大日本印刷のギャラリー」なのだから、その辺りの意識を高く持って欲しいところだ。
とはいえ、以上はあくまで瑣末な瑕疵で、和田誠の熟達した作品群と情念はそれらを払拭して余りあるほど素晴らしかったのは云うまでも無い。
帰り道、古本屋で何冊か彼の装丁した本を見繕い、トンカツを食べた。
[関連ブログ]※二つとも感想、画像など。自作イラストもステキ。
・和田誠氏に会いに行く (モラン)
・いろいろ目を肥やす (April World ブログ日記)
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2005年09月20日
「カンパイ!ラガー!」でお馴染みのキリンラガービールやラフォーレのCM等を数多く手がけるアートディレクター青木克憲の個展。
個人的に、「それは自由が燃える温度」という宣伝コピー共々好きなのが「華氏911」。
・butterflystroke.inc ※青木氏の「自己主張」に注意w
毎回無料とは思えない充実したラインナップの展示をしている「大日本印刷」が主催するdddギャラリーで鑑賞。
手頃な広さの会場には、先述の有名なCMや広告のポスターや映像、キャラクターオブジェ、そして大々的にフューチャーされた「カミロボ」のイベントビデオやフィギュアキャッチャーなどを展示。
ポップなキャラやゲームの効果か、近所の、全く青木氏の事なぞ知らなさそうな子連れの主婦が多かった。
恐らくこういう一般層が、小難しいデザイン論抜きに楽しめるスペースを提供するのが意図だったと思える。
 | なかなか取れなかったので、受付の女性に不正行為をして頂いてゲットした「カミロボゴムフィギュア」 |
そういえば、「通常アートディレクター(AD)はクライアントの意図を形にするのが第一で自己主張などすべきでない、アーティストとは違う、と云われる中、青木氏は『自分から動くタイプ』のADである」と云ったコメントを糸井重里が寄せていた。
最近は程々のネームヴァリューがあれば自ずとクライアント側も「個性」を求めて依頼してくるだろうし、「何を今更」という感もあったのだが、そこは名コピーライターらしく、ADがアクティブになった時代性を「プロポーズされる女性の立場の変遷」と喩えていたのがちょっと面白かった。
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2005年09月19日
◆巨匠 デ・キリコ展
大丸ミュージアム・梅田にて鑑賞。100点以上の作品が一挙に見られて充実至極。
ただ最も有名で、個人的にも一番好きな「街角の神秘と憂鬱」はアメリカの個人蔵ということで出展なし。残念。
[イラスト元ネタ]※ちなみに魚喃キリコも好きです。
・ヘクトルとアンドロマケ (ジョルジョ・デ・キリコ)
・キリコ・キュービィ (装甲騎兵ボトムズ)
・玖保キリコ
同じシュルレアリズムの画家でも、デ・キリコと似たアングルの作品が多いと云われる(実際は数点だけだが)ポール・デルヴォーの不穏さと「エロスとタナトス」に溢れた作風の方が好みだった。
しかし実際にデ・キリコの生の作品に触れてみると、両者の方向性は全く違うものであり、スタイルだけでデ・キリコが劣る、等と判断していた考えを改めざるを得ない結果に。
デルヴォーが生涯古典的な描画を貫いていたのに対し、デ・キリコが晩年の1974年前後、過去の作品を再解釈し描き直した作品等は、時代性もあるのか「アメリカ」的な「ポップ・イコン」のアプローチに溢れ、色遣いもカラフルなコミックの様に鮮やかなものになっているのにまず驚く。
この「ポップ」化は「イコノグラフィー(象徴描画)」においても同様で、これまたコミック的な「キャラクターデザイン」志向に傾倒していった事が同年代の立体物を見るとよく判る。これは意外だった。
デ・キリコの重要なアイテムである「マネキン」を多く使った「ヘクトルとアンドロマケ」や「不安を与えるミューズたち」の絵を眺めていると、そこに込めたコンセプトや意図と同時に、その方面に全く興味の無い自分でさえ「これはフィギュアに出来るなあ」と「キャラクター力」を考えずにはいられないのだ。
通常名画の中にあるイコンを商品化してもイマイチな出来である事が多い。ダリの「溶けた時計」なども絵画の中に収まってこそ存在意義を持つからだ。「時計」だけ取り出してはその意義が消えてしまい、「商売用グッズ」以上の価値を見出せない。
しかしデ・キリコは自ら立体物への再構成を手がける事で、「背景」の無い状態でも絵画と同じコンセプトを彫像に込める事に成功している。寧ろ「立体」の方が観る者へのアプローチが強く増すくらいに。
彼のキャラクターデザイン力は同時代の、特にシュルレアリスト画家には無かったものだと思う。実際ダリも立体物を多く遺しているが、ここまでの「ポップ」さは獲得出来なかった。
そんな訳で、「アメリカ」という新しい文化を老いた身で軽やかに吸収してのけたそのパワーと、シュールかつポップ、という二つのコンセプトを同時に表現し得る彼の才能を再発見出来て、非常に有意義な時間だった。
・美術家の言葉ジョルジオ・デ・キリコ
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投稿者 UT : 20:18
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2005年07月20日
マシュー・バーニーは5、6年前に「スタジオボイス」で「クレマスター」なる映像連作シリーズの特集をしていたのを覚えている。(最新号でも特集)
その「クレマスター」は大阪でも昨年5月に一挙上映していたとか。うわ〜、不覚。
ブログ始めるまでは、ほんとこの手のアンテナ腐食してたんだな〜、と反省。夏休みがてら金沢紀行しようかな。
「拘束のドローイング」展 金沢21世紀美術館で7月2日から8月25日まで開催
スタジオボイス8月号
クレマスター公式サイト いかにもビョーク好みな作り込み
投稿者 UT : 16:23
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2005年07月13日

いつも巡回してるイチオシサイト小太郎ぶろぐさんから。
自分にとって、中学生以降の人格形成に重要だった芸術家ダリ。Photoshopが当然の現代でも彼のイマジネーションはテクノロジーなど敵では無い事を証明してくれる。
Taschenの分厚い画集ならあるけど、ネットで気軽に触れられるのがまたいい。
まず堪能すべきは「Paintings」でのクロニクル探訪。その間、たまに画面を「柔らかい時計」等でお馴染みのアリが這いずり回るのが憎い。
そして通常なら無難なはずの画家自身の写真も、ダリは存在自体が非凡な為、これまた愉しめる。
欲をいえば眼球をカミソリで切り裂く「アンダルシアの犬」のムービー等もコンテンツにあればなあ。
この調子でヴァーチャルクリムトとかヴァーチャルカラヴァッジオとかしないかな。マグリットならいけそうかも。調べてみよう!・・・と思ったら検索では出ず。どっかにあるんだろうけども。
代わりに「ヴァーチャル」という言葉が出始めた90年代初頭、速攻で作品名に使ってたSoftBalletの「Virtual War」とウィリアム・ギブスンの「Virtual Light」をリンクしてみる。なつかしや。
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投稿者 UT : 01:02
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