◆ニキ・ド・サンファル展 (大丸ミュージアム・梅田)
入場してすぐドキリとするのは、ライフルの銃口をこちらに向けて構えるニキ自身のポートレートだ。元モデルと云う美貌の中で、知性をたたえた鋭い眼光がひときわ強烈な印象をもたらす。
続く順路でも、二匹のカラフルな蛇で構成された鏡と椅子が出迎えてくれ、まさにツカミはバッチリ。
ニキ・ド・サンファルがまず面白いのは、絵の具を埋め込んだレリーフや彫刻をライフルで撃つ、と云う前衛的な手法を取った「射撃絵画」で性的コンプレックスを表現した点だ。
ダリやフリーダ・カーロに限らず、自分の「性」を表現に繋げるアーティストは多いが、「破壊」によって一度「死」を与えつつ、流れ出す血潮の如き絵の具によって新たな作品へと「再生」させるという意図は斬新でかつ判り易い。
中でも「モンスターのハート」「赤い悪魔」などはアンチキリスト教としての偶像破壊とポップさが見事に融合し、ゴス嗜好の人間も引っ掛かりそうだが、多分本人にそういう傾向は無い。
ただ、この一連の作品は、ライブ・ペインティングの様な、インスピレーションをそのまま叩き付ける本能的な要素は薄く、理知的で造形として整合感が取れ、完成度も高い。
これは、次の順路の解説文にも指摘してあったが、立体物故に製作過程で完成品への意識や計算が反映された為だと思える。つまり完全な「無意識の衝動表現」には成り得ていない訳だ。
「恋人を忘れる為」と云う藁人形の様なコンセプトながら、痛々しさと云ったものを滲ませないところに、ニキと云う女性の知性と感情処理能力の高さを実感してしまった。
その後、激しかった性的コンプレックスが次段階を迎え(ある意味「射撃絵画」の試みが失敗した所為か)、同じ造形物でも、より原初の衝動、温かみを体現した代表作「ナナ」へ移行した事は非常に納得のいく展開だ。
特に「最初のナナ」は後のポップな色彩とは異なり、まるで産まれ出たばかりの嬰児の様に赤黒い外見だったのも感動的だった。
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ただ、個人的に、もともと彼女は「内向的」なタイプでは無かった気がする。初期の絵画作品も精神治療の一環で描いたらしいが、それらは全て「誰かに観て欲しい」と云う外向きのパワーに満ちていたからだ。
そんな意味で久々にオーラやエナジーをドーン!と貰えたのが嬉しかった。
他にも、ピンクのシャネルサングラスをかけ、森光子そっくりな声のニキ美術館館長が印象的な上映ヴィデオや、エアが入った様な装丁の図録も観応えがあり、つくづく、何度でも入場出来る大丸ミュージアム・パスカードを買っておいて良かったと思える展覧会だった。
大丸ミュージアム・梅田で9日(日)まで開催中。
・ニキ美術館 ※トップでナナ像が倒立屈伸運動してるのに噴いた。
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◆野田凪展 - HANPANDA コンテンポラリーアート展 - (dddギャラリー)
まるで「男子禁制」の少女コミック。これが野田作品の第一印象であり、最終的な結論でもある。
女性に優しく、共感を以て話を聞いてくれ、決して暴力を振るわない理想の男性しか出て来ない非現実的な日常の如き世界が会場には拡がっていた。
たまたま自分が鑑賞中、彼女が手掛けたYUKIのヴィジュアルが大好きだと云うファンの女性が係員と熱心に喋っていたが、如何にも少女コミック好きな乙女と云った体のその女性に「宗教や勧誘に弱そうだ」と失礼な判断をしつつ、野田作品はそういう思い込み世代を取り込む要素が強力な事も実感した。
ニキが「男女の違い」に苦しみながら、最終的に「性差」を受け入れつつ昇華したのに対し、野田凪は「男の性」を一切排除した「自分だけの秘密の部屋」に閉じこもった作風に思える。
それはクライアントがパルコなどの女性をターゲットにした企業が多いからだけでは無いだろう。
例えば、水着やメイド服、フリフリのドレスを着たモデル達が描かれるポスターやヴィデオには、一切「セックス」の要素は無い。勿論、そもそもターゲットが女性である以上、性的な要素が強いものは「同性嫌悪」を招く恐れがある為、抑制しなければならないのは判る。
だが、逆にそのセクシャリティをテーマにした作品にすら「違和感」があるのは、彼女にとっての「それ」が日常と乖離している為ではないか。まるで耳年増な女子中学生の妄想を抱え続けている様な。
テクニカルな面では、正直なところ、彼女独特のセンスや特徴は余り見受けられない。どこかで観た様なAdobe Illustratorの描画や画像はかなりありふれたものだ。
だから、彼女の魅力になるのは代表作である「ハンパンダ」の、肉体の半分を切り落とし、そこに別の動物をくっつけた明らかな性的コンプレックスと変身願望の現れや、自らセーラー服などのコスプレをして写真に映るナルシズムと「女性」性への執着だ。
そういう矛盾と願望が、美少女モデルの下半身をプードルの様に奇形化するポスターの様に、どこか作り物っぽい病的な印象を強めているのかもしれない。
学生時代、「女であること」に葛藤する知人が何人か居たが、日本人だからかどうか、その衝動を表現した作品はどこか湿った感触で、心象風景の抽象画だったり、自傷的な自画像といった「内に向かった」ものが多かった様に記憶している。
それは、悪く云えば自己満足でありナルシズムの排泄物の様に思え、「誰かに伝えるもの」ではないな、と独りごちたものだ。それに魅力を感じるとすれば美術への感動としてではなく単なる「共感」だと云える。
そんな意味で、野田凪の広告は、主に女性の共感をピンポイントに集められても、前進するエネルギーを与えられる類のものでは無いと云い切ってしまおう。
勿論、それは悪い事では決して無い。現に彼女の手掛けた商品は売れ、社会的な評価も高い。
ひょっとしたら、自分はここまで閉塞的で限定された世界の在り方に、未だに戸惑っているだけかもしれない。
大阪・堂島のdddギャラリーで 14日(金)まで開催(入場無料・土日祝は休館)。
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と、かなり思うところがあったこの二つ。通常、自分は黙って鑑賞したい為、一人で展覧会に赴くのだが、強烈な「女性」を見せつけられた今回に限っては、無性に女性側の解釈や意見が聞きたくなってしまった。
そして、「女性」にとって権利や立場は平等である社会であるべきだが、表現の世界に於いては性差やコンプレックスが如実に出た方が面白い筈だ、とも思わずにいられない。不謹慎かもしれないが。
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